レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2018年06月22日
- 登録日時
- 2018/12/08 00:30
- 更新日時
- 2020/10/28 00:30
- 管理番号
- 3A18005024
- 質問
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解決
大阪薬科大学は現在は高槻市にあるが、明治41年に道修町から南久太郎町に移転した。当時の名前は大阪道修薬学校で、住所は南久太郎町1-17だった。南久太郎町に大阪道修薬学校があったことがわかる地図を探している。学校移転後は大阪殖産信用金庫船場支店の建物があったらしい。
- 回答
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お尋ねの件につきまして、当館所蔵の大正時代に発行された地図で「大阪道修薬学校」の記載を確認できた地図を紹介します。
『大阪地図 : 実測』 (田中 鎮三郎 銅鐫,昇竜堂, 1912)
複数枚に分割された地図のうち、「127」の地図の「南久太郎町一丁」の「十七番」に「大阪道修薬学校」と記載がありました。
- 回答プロセス
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1.当館所蔵の東区のラミネート地図をブラウジング。
2.大阪関係資料目次検索、大阪府立図書館「おおさかポータル」
( http://www.library.pref.osaka.jp/site/osakaportal/ )(2019.10.02確認)を”薬学校”で検索し、ヒットした資料を確認。
3.明治44年の大阪地籍地図で南久太郎町1-17を確認。学校名はなし。
4.当館所蔵の大阪コーナー他、薬学関係資料を確認。
5.当館所蔵検索にて、フリーワード“大阪”“地図”、年代を“1910~1921”として検索。(資料1)が見つかる。
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本 (291 9版)
- 薬学 (499 9版)
- 参考資料
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- 当館書誌ID <0080349898> 大阪地図 -実測- 昇竜堂 1912 (資料1)
- キーワード
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- 大阪府大阪市東区
- 大阪薬科大学
- 大阪道修薬学校
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 所蔵調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000247603