レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2021年05月27日
- 登録日時
- 2021/09/17 15:08
- 更新日時
- 2021/10/26 15:25
- 管理番号
- 中央-1-0021505
- 質問
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解決
現在の南浦和小学校やその先の阿弥陀堂も昔は辻村和光院の敷地内だったのか。
- 回答
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【南浦和小学校について】
南浦和小学校の記念誌より、南浦和小学校の前身である辻学校が、辻村和光院に開校していたことが分かった。
(1)『開校百二十年記念誌』浦和市立南浦和小学校 1995年
関連する記述をいくつか抜粋する。
p7「本校は、明治七年、辻村和光院辻学校として誕生いたしました。」
p4「時の政府が国民皆学に向かって、「学制」をしいたのが明治五年であり、その二年後に本校の前身である辻学校が、辻村和光院に開校しました。」
p14 年表「南浦和小学校の沿革」
・明治七年 辻学校が辻の和光院に開かれる(四〇名)
・明治一九年 白幡の医王寺にうつり、白幡学校となる(一八一名)(和光院は分教場)
その後、南浦和小学校は現在の場所に移転している。
【阿弥陀堂について】
「南浦和小学校の先の阿弥陀堂」ということなので、神明2丁目にある「阿弥陀堂」(根岸阿弥陀堂)について調べたところ、以下の資料に記述が見つかった。
(2)『新篇武蔵風土記稿 5』林述斎/編 歴史図書社 1969年
江戸幕府の昌平坂学問所地誌調所が編纂した官撰地誌で、近世後期の武蔵国についての基本的な史料。
・p571 根岸村
p572「寺院」の項に、「阿彌陀堂 玉泉院持」との記述がある。同じ項に玉泉院の解説もある。
・p573 辻村
p574「寺院」の項に、「和光院」の解説がある。解説の下部に「阿彌陀堂」と記載があるが、「阿彌陀堂」自体の解説はない。
また、『さいたま市史料叢書』にも、根岸阿弥陀堂と和光院についての記述がある。
(3)『さいたま市史料叢書 3 寺院明細帳編 1』さいたま市総務局総務部市政情報課/編 さいたま市 2004年
p18「6 新義真言宗豊山派 和光院(浦和領辻)」
(4)『さいたま市史料叢書 5 寺院明細帳編 3 堂庵明細帳編』さいたま市総務局総務部市政情報課/編 さいたま市 2006年
p142「8 真言宗 阿弥陀堂(浦和領根岸)」
解説の最後に「昭和十七年三月二十七日付浦和市仲町二丁目真言宗玉蔵院へ所属ノ件認可ス」と書かれている。
和光院については下記の資料にも解説があった。寺院の歴史等について書かれているが、阿弥陀堂に関する記述はなかった。
(5)『埼玉のお寺 埼玉県寺院全集』埼玉県仏教会/監修 千秋社 2001年
p96「和光院」 解説の分量は半ページほど。
神明2丁目にある根岸阿弥陀堂と、辻の和光院にある阿弥陀堂、双方に関する記述は以上のように確認することができた。
「新篇武蔵風土記稿」にそれぞれの記述があることから、根岸阿弥陀堂と和光院の阿弥陀堂は別物であったと考えることもできるが、はっきりとしたことは分からなかった。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
-
- 関東地方 (213 10版)
- 参考資料
- キーワード
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- 辻村和光院
- 南浦和小学校
- 根岸阿弥陀堂
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- さいたま市南区 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000304815