レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2020年9月26日
- 登録日時
- 2020/09/24 18:21
- 更新日時
- 2020/11/18 11:39
- 提供館
- 京都市図書館 (2210023)
- 管理番号
- 右中ー郷土ー137
- 質問
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解決
唐櫃越(からとごえ)について知りたい。
- 回答
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唐櫃越は,京都市西京区山田から亀岡市篠にかけて,山陰道の北側の稜線をたどる尾根道のことです。
山陰道の老ノ坂越の間道で,標高400メートルを超える難所であり,南北朝内乱・戦国争乱期には京都-丹波間を往来する軍道として用いられました。
『太平記』によれば,千種顕経(ちぐさあきつね)が観応の擾乱の際にこの道を通ったことが記されています。【資料1~3・7~9・11】
また,本能寺の変の際には,明智光秀が織田信長を襲撃するために使用した道とする説があります。【資料5・8・9・14】
“唐櫃越”の発音は,“からひつごえ”であったものが建武3年(1336)の文献に“賀羅富津越(からふつごえ)”とあり,それが転じて“からふとごえ”と変化し,現在の“からとごえ”となったと資料では推測されていますが,確かなことはわかっていません。【資料7~9】
現在は,旧山陰道の間道にまたがるみすぎ山・沓掛山を歩く登山コースとして知られています。【資料12・13】
- 回答プロセス
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●“唐櫃越”で当館所蔵資料を検索するも,該当資料なし。
●レファレンス協同データベース・京都市HP事例も確認するが,いずれも該当事例なし。
●『国史大辞典』を確認する。
索引より,【資料1】に項目あり。
●地名事典を確認・・・【資料2・3】
●京都の事典で“唐櫃越”を確認・・・【資料4・5】
●“唐櫃越”で国立国会図書館サーチを検索・・・【資料6】
●京都の地名・道関連の資料を確認・・・【資料7】
●【資料7】の参考文献より【資料8・9】
●【資料7~9】より,明智越のルートとの関連について触れてあることから,明智越又は明智光秀及び本能寺の変関連の資料を確認・・・【資料10】
●地域の歴史や京都の山関連の資料を棚当たり・・・【資料11~14】
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本 (291)
- 近畿地方 (216)
- 参考資料
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- 【資料1】『国史大辞典15上 補遺』(国史大辞典編集委員会/編 吉川弘文館 1996)p53“からとごえ”
- 【資料2】『日本歴史地名大系 27 京都市の地名』(平凡社 1979)p1131“唐櫃越”
- 【資料3】『角川日本地名大辞典 26-[1] 京都府』(「角川日本地名大辞典」編纂委員会/編 角川書店 1982)p447“からとごえ”
- 【資料4】『京都大事典』(佐和 隆研ほか/編集 淡交社 1984)p208“唐櫃越”
- 【資料5】『京都大事典 府域編』(上田 正昭ほか/監修 淡交社 1994)p142~143“唐櫃越”
- 【資料6】『カラー京の道』(植条 光辰/文 淡交社 1979)p202“唐櫃越”
- 【資料7】『京の古道を歩く』(増田 潔/著 光村推古院 2006)p325~339“唐櫃越・明智越”,図版あり
- 【資料8】『地理から見た信長・秀吉・家康の戦略』(足利 健亮/著 吉川弘文館 2016)p69~88“第三章 光秀,謀反の道―唐櫃越”,図版あり
- 【資料9】『地図から読む歴史』(足利 健亮/著 講談社 2012)p146~157“唐櫃越の名称と存在理由を考える”,図版あり
- 資料10】『明智光秀と近江・丹波』(福島 克彦/著 サンライズ出版 2019)p160~164“本能寺への道”,図版あり
- 【資料11】『史料京都の歴史 15 西京区』(京都市/編 平凡社 1994)p14~15“老ノ坂と唐櫃越”,図版あり
- 【資料12】『京都府の山』(木之下 繁ほか/著 山と溪谷社 2017)p114~115“唐櫃越 みすぎ山・沓掛山” 地図あり
- 【資料13】『北摂・京都西山』(赤松 滋ほか/調査執筆 昭文社 2018)山と高原地図 解説あり
- 【資料14】『篠村史』(林屋 辰三郎ほか/編 臨川書店 1987)p169“明智光秀”
- キーワード
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- 唐櫃越
- からとごえ
- からひつごえ
- 太平記
- 明智越
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000287448