レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2008/06/05
- 登録日時
- 2008/10/23 02:11
- 更新日時
- 2011/06/16 02:00
- 管理番号
- M08060511224804
- 質問
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京橋の歴史について知りたい。
- 回答
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城下町の東西をつなぐ旭川の京橋は、天正以前は少し川上にあり、「大橋」と呼ばれていました。宇喜多直家の時代に大橋のたもとに町ができ、「大橋町」と称しましたが、この町には京や大坂の品を扱う店が多かったため、まもなく町名を「京町」に改め、大橋も「京橋」とされました。宇喜多秀家の時代になると、龍の口山の南から半田山の南を抜けていた山陽道(西国街道)を、城下を通すようにつけかえました。京橋も文禄2年(1593)、中島を中継にして新しい山陽道を通すように架け替えられました。(このため元の京橋が「古京橋」となり、町名も「古京町」に改められました。)京橋の、江戸期の長さは68間(約124メートル)、幅は4間(約7.3メートル)でした。『国富家文庫』によると延宝元年(1673)から幕末までに6回かけ替えられたとのことです。近代のかけ替えの最初は明治18年(1885)です。4月に完成、23日に県令千坂高雅や岡山区長(現代の市長)手代木勝任らが渡り初め式を行いました。現在の京橋は大正6年(1917)のものです。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 交通史.事情 (682 9版)
- 参考資料
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- ・「岡山市史」産業経済編 p201-203、p604 ・「岡山県大百科事典」上巻 p800 ・「岡山の交通」 p78-79
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- M2008060511253924804
- 調査種別
- 内容種別
- 質問者区分
- 全年齢
- 登録番号
- 1000048299