レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2016年07月26日
- 登録日時
- 2018/06/21 19:18
- 更新日時
- 2018/08/30 15:48
- 管理番号
- 堺-2018-054
- 質問
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解決
1 大鳥郡和田谷上村にあった聖福寺について
2 大鳥郡土師村にあった正楽寺について
3 大鳥郡深井安村にあった安明寺について
4 大鳥郡万代栂村にあった地蔵堂について
いずれも明治時代には廃寺になっている黄檗禅宗の寺。寺の歴史について知りたい。
- 回答
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1 『檜尾・美木多の歴史』P18より「和田谷」は「みきた谷」と読むことが判明。
『堺市史 続編』巻4 P1218
「山地 年貢地 此境内弐千四捨坪 天平年中行基菩薩開基与申伝候 太子堂」
『堺市史 続編』巻4 P1410
「寺 山地 年貢地 此境内弐千四捨坪 天平年中行基菩薩開基と申伝候 太子堂 壱宇」
※ P1218は「宝永3(1706)年 泉州大鳥群泉群の内久世大和守領分寺社改帳」を翻刻したもので、P1410は「元禄4(1691)年 泉州大鳥群泉群之内 牧野備後守領分寺社改帳」を翻刻したもの。
2 『ふるさと土師』土師自治会 P21
「西福寺の松本住職が古い戒名・命日の書き付けを調べられたところ、「正楽寺」または「正ノ」と書かれたものが、1348(寛文7)年から1853(嘉永3)年まで64ありました。美濃川からニサンザイ寄りのところに、平安時代から江戸時代中頃にかけて正楽寺という寺があったことが、土師遺跡の発掘調査からわかっています。正楽寺と西福寺の間に何らかのつながりがあったのではと推測されます。」
P121に「土師遺跡発掘調査報告Ⅱ」の抜粋要約あり
3 深井村は中世の頃は深井郷と呼ばれていた。その中に北、中、南、安の小字があり、正保2(1645)年頃以降正式に分かれて呼ばれるようになった。
『和泉国深井郷土誌』深井文化サークル(1988年)
P179に安明寺について記載がある。寛政3年の寺社帳写の翻国で、「境内百五坪」「行基菩薩怪奇神亀五戌辰年・・・」等、寺の規模、来歴について記録されている。
P546から掲載されている深井深井村寺社由来書にも安明寺についての記載があるが、「安明寺(廃寺) 深井安村字島村垣外にあった。詳細は不明なるも村名の安村は安明寺より転移したものと伝えられる。」とある。
『深井百年P162に「江戸時代に深井四か村といったのは、北村、中村、南村、安村でありました。安村は昔 安明寺村といったそうです。安明寺というお寺があったのでしょうか。詳しいことはわかりません。」とある
4 調査済資料には記載なし
5 調査済資料
『堺市史』
『大阪府全志』清文堂出版 1986年
『堺県地誌要畧 複写版』池上儀八 1877年
『泉北史蹟志料』大阪府泉北郡 1923年
『和泉國村々名所旧跡附』和泉郷土文庫 1936年
『和泉名所図会』柳原書店 1976年
『伝承 みきた』堺市立美木多小学校PTA 1986年
『檜尾・美木多の歴史』檜尾自治会 2010年
『土師小学校創立10周年記念誌』1994年
『上神谷史 複写版』1955年
(北図書館)
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 各宗 (188 8版)
- 参考資料
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山本/雅彦 執筆 , 檜本/多加三 執筆 , 山本/雅彦 , 檜本/多加三. 檜尾・美木多の歴史. 檜尾自治会, 2010.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I057381078-00 (p.18) -
堺市. 堺市史 続編 第4巻. 堺市, 1973.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001217410-00 (p.1218,1410) - 『ふるさと土師』土師自治会 (p.21)
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深井文化サークル 編 , 深井文化サークル. 和泉国深井郷土誌. 深井文化サークル, 1988.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001945058-00
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山本/雅彦 執筆 , 檜本/多加三 執筆 , 山本/雅彦 , 檜本/多加三. 檜尾・美木多の歴史. 檜尾自治会, 2010.
- キーワード
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- 寺院
- 黄檗宗
- 聖福寺
- 正楽寺
- 安明寺
- 地蔵堂
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000237471