レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2022年04月05日
- 登録日時
- 2022/09/13 14:34
- 更新日時
- 2022/09/28 09:09
- 管理番号
- 中央-1-0021573
- 質問
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解決
旧浦和市域や旧与野市域に、畠山重忠にまつわる伝説やゆかりの寺社などが多くあるが、これらは史実なのか。根拠や出典などが分かる資料があれば見てみたい。
- 回答
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下記資料に、畠山重忠ゆかりの寺社等について書かれている。
(1)『畠山重忠』貫達人/著 吉川弘文館 1987年
p182~189「『新編武蔵国風土記稿』から重忠に関するものをざっと拾うと次のようである」の文章に続いて、重忠ゆかりの寺社等が一覧で出てくる。うち、旧浦和市域や旧与野市域のものとして、永福寺(旧浦和市大久保領家)、円乗院(旧与野市)、金剛寺(旧浦和市道場)、重忠城址(旧浦和市道場)、如意輪寺観音堂(旧浦和市鹿手袋)が挙げられている。
(2)『秩父ゆかりの畠山重忠公』彦久保一光/著・出版 1993年
p140~146「『新編武蔵国風土記稿』から重忠に関するものを拾うと次のようである。」と書かれており、重忠ゆかりの寺社等が一覧で出てくる。(1)と内容は同じ。
(3)『畠山重忠』畑やわら/編著 滴翠社 1977年
p55 第二章 足跡、口碑をたずねて
章冒頭に“本書を編むに当たっては、「吾妻鏡」をはじめ今に伝わる口碑、伝承をたよりとして、可能なかぎり県内外に散在する重忠の遺跡、伝承地に足をはこび、その裏付けを求めるとともに、これを記録するよう心がけた”とあり。
p73 永福寺(浦和市神田)の解説には、「この石塔を重忠の墓だと称しているが、疑わしい点もある。寺名の永福寺は源頼朝が鎌倉に菩提所として築造した寺と同名であり、重忠は鎌倉の永福寺の奉行人になっていることから、この寺と重忠は何らかの関係があったのかも知れない」と書かれているが、著者が疑わしいと感じた根拠については書かれていない。
以下の史跡の解説もあるが、出典や根拠は特に書かれていない。
p73宝栄山如意輪観世音(浦和市鹿手袋)、p74金剛寺(浦和市道場)、p74重忠館跡(浦和市道場)、p75円乗院(与野市与野)、p76キャラの木(浦和市常盤)
(4)『畠山重忠 シリーズ・中世関東武士の研究第7巻』清水亮/編著 戎光祥出版 2012年
第2部「Ⅵ 武蔵武士畠山重忠ゆかりの地」
p225 さいたま市にゆかりの地が集中しているとの記述あり。
p229~239「畠山重忠ゆかりの地」の一覧表あり。表の最後に「ゆかりの地の詳細は畠山重忠辞典ホームページでご覧になれます」と書かれている。
「畠山重忠辞典」は深谷市ホームページで閲覧できる。※最終アクセス確認日:2022年9月13日
深谷市ホームページ
トップページ>組織から探す>教育部>文化振興課>お知らせ>畠山重忠について
http://www.city.fukaya.saitama.jp/soshiki/kyoiku/bunka/oshirase/1491186726389.html
一番初めの項目「武蔵武士の鑑 畠山重忠」の銅像の写真の下の「畠山重忠辞典(PDF:3.6MB)」をクリックすると、PDFデータを閲覧できる。
重忠ゆかりの地(p22~32)、重忠ゆかりの品(p33~34)の一覧表があるが、(1)~(4)で紹介した資料以上の情報はなし。
(5)『大日本地誌大系 14 新編武蔵風土記稿 第8巻』雄山閣 1981年
資料(1)(2)の引用元として紹介されている『新編武蔵国風土記稿』を確認。第8巻に旧浦和市道場など旧浦和市域、旧与野市域の地誌が収録されており、金剛寺や円乗院など重忠ゆかりとされる寺社の解説に重忠の名があることを確認した。
※『新編武蔵国風土記稿』は、徳川幕府が文化7年(1810)~文政11年(1828)にかけて編纂した武蔵国の地誌で、当時の各村の状況を知る上で欠かせない資料とされている。
寺社についての資料や、その他の畠山重忠関連の資料も確認したが、やはり『新編武蔵国風土記稿』を引用元としている資料が多く、『新編武蔵国風土記稿』のそのまた出典は、というところまで辿ることはできなかった。
また、埼玉県立嵐山史跡の博物館が発行した資料には、次のように書かれている。
(6)『秩父平氏畠山重忠とその時代 企画展』埼玉県立嵐山史跡の博物館/編 埼玉県立嵐山史跡の博物館 2009年
p10 コラム「重忠伝説の発生とひろがり」
伝説の真偽について書かれたコラム。『吾妻鏡』における重忠の描かれ方や、重忠の死や墓に関する伝説は唱導文学や口碑伝承、物語文学によるところが大きかったことなどが解説されている。
また、コラムの最後には次のような記述があり、重忠の足跡が明確でないことがうかがえる。(以下抜粋)
「直接史料をほとんど残さなかった重忠は、逆に無数の伝説を残しており、これを有効に読み解き、重忠の実像に迫ることが私達に加せられた大きな課題となります。
また、秩父氏や重忠を開基とする寺院と妙見宮の研究はあまり進捗していませんが、重忠に迫るためのもう一つの方途となります」
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 関東地方 (213 10版)
- 個人伝記 (289 10版)
- 参考資料
- キーワード
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- 畠山重忠
- さいたま市
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介 事実調査
- 内容種別
- 郷土 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000321203