三宅可三(可参)は、三宅寄斎(亡羊)の孫のようである。
・『藤村庸軒をめぐる人々』 白嵜 顕成/著 思文閣出版 2011年
p97 昌尚とは、亡羊の孫三宅可三の字である。山上尚男家に伝わる三宅家系図に可三は次のように出る。
昌尚 衝雪斎 伯省 可三
備前岡陽国子司業権
侍講
p101~104 〝亡羊の孫、三宅可三は三十九歳の若さで亡くなった。将来を嘱望されながらあまりにも若い死であった。山上家文書には可三の漢詩は次の2詩だけが知られている。『扶桑名勝詩集』巻上(吉田元俊編、延宝八年板行)の「備前八景」と『扶桑名勝詩集』巻中(同上)の「西山平岡十景」がそれである。″
とあり、「備前八景」と「西山平岡十景」の詩が掲載されている。
・「藤村庸軒をめぐる人々(二)-三宅道乙-」白嵜 顕成教育諸学研究 17, p1–20, 神戸女子大学 2003年5月
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三宅道乙書置・遺書の解説の部分で、
p16 「遺書之事」は寛文六年に書かれており、この時は三宅可三は存命であった。しかし、可三は寛文十二年(一六七二)八月十七日、三十九歳の若さで亡くなった。そこで道乙は、延宝三年八月に遺書を書き変えた。それが(106)「三宅道乙遺書之條々」である。
との記述あり。