レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2011年06月09日
- 登録日時
- 2013/03/30 15:33
- 更新日時
- 2014/09/02 00:30
- 管理番号
- 10-3A-201303-08
- 質問
-
解決
大阪中央卸売市場(本場)はいつできたのですか。
- 回答
-
大阪における市場は、蓮如上人や豊臣秀吉の頃にはじまり、江戸時代に大いに発展しました。明治時代になっても市場には種々の特権が残され、存続していましたが、都市環境の変化に対応しきれず、さまざまな問題が顕著になってきていました。
第1次世界大戦下の物価高騰から市民の生活を守るため、食品を中心とする生活必需品を安く、安定して入手することができるように、大正7(1918)年4月大阪市は全国にさきがけて市内4ヶ所に日用品供給場(公設市場)を設け、その動きは全国に広がりました。
同年7月「米騒動」が起こり、全国的に食料品の安定供給の必要性が高まり、公設小売市場の機能を十分発揮させるため公設卸売市場の設置が求められ、大正12(1923)年、「中央卸売市場法」が制定されました。
大阪市では大正13(1924)年に臨時中央卸売市場調査委員会を設置し、市場の建設地の選定を開始し、大正14(1925)年3月に全国初の開設の認可を受けました。建設候補地は当初17ヶ所あげられていましたが、最終的に、市域のほぼ中心に位置し、1,500トンまでの汽船の接岸や、国鉄西成線からの貨車の引き込み可能など、水運・陸運ともに至便な、船津川北詰の安治川沿岸(現在の福島区野田)に決定しました。
広大な用地の立ち退き問題や、既存の卸売市場の存廃問題等により、開場までには時間を要しましたが、昭和6(1931)年11月11日に、面積121,330平方メートルに達する総合食品市場が開場し、生鮮食料品流通の新しいシステムが整備されました。
終戦前後は市場機能を一時停止していましたが、統制の解除とともに本来の姿に戻り活動を開始し、本場施設の建て替えや整備が行われ、平成14(2002)年に全施設の建て替え工事が終了し、開場80周年をむかえました。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
-
- 近畿地方 (216 9版)
- マーケティング (675 9版)
- 参考資料
-
- 当館書誌ID <0070067820> 本場50年の歩み -大阪市中央卸売市場本場開設50周年記念- 大阪市中央卸売市場本場開設50周年記念事業委員会年史編纂実行委員/編纂 大阪市中央卸売市場本場開設50周年記念事業委員会 1982
- 当館書誌ID <0000289467> 60年の歩み -大阪市中央卸売市場本場開設60周年・業務管理棟竣工記念- 大阪市中央卸売市場本場開設60周年記念事業委員会/[編] 大阪市中央卸売市場本場開設60周年記念事業委員会 1992.11
- 当館書誌ID <0010430979> 新たな飛躍に向けて -本場開設70周年・新市場完成記念- 大阪市中央卸売市場本場開設70周年・新市場完成記念事業委員会/企画・編集 [大阪市中央卸売市場本場開設70周年・新市場完成記念事業委員会] 2002.11
- 当館書誌ID <0070022168> 福島区史 大阪都市協会/編集 福島区制施行五十周年記念事業実行委員会 1993
- 当館書誌ID <0080229369> 野田 -創立70周年記念誌- 大阪市立野田小学校創立70周年記念誌編集委員会/編 大阪市立野田小学校創立70周年記念事業委員会 1973
- 当館書誌ID <0010528957> わたしたちの野田 大阪市立野田小学校副読本作成委員会/編集 大阪市立野田小学校 2003.2
- 市場の歴史 http://www.city.osaka.lg.jp/shijo/page/0000003470.html (2010年12月28日確認)
- 中央卸売市場 http://www.city.osaka.lg.jp/shijo (2010年12月28日確認)
- キーワード
-
- 大阪府大阪市福島区
- 中央卸売市場
- 市場
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000129944