レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2019年04月23日
- 登録日時
- 2019/12/24 00:30
- 更新日時
- 2021/12/08 00:30
- 管理番号
- 3A19005645
- 質問
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解決
大阪市のホームページの「大阪市>住まい・まちづくり>田辺地区HOPEゾーン事業>田辺の歴史とまちなみ」( https://www.city.osaka.lg.jp/toshiseibi/page/0000116292.html )に「神功皇后の伝説によると朝鮮半島から持ち帰った白馬…」とあったが、この元となる文献が知りたい。
- 回答
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以下の資料に、神功皇后が持ち帰った白馬のエピソードが紹介されています。
(1) 『田辺町誌』(大阪府東成郡田辺町/編纂 大阪府東成郡田辺町役場 1925)
p.236-239「第四編 神社佛閣並に旧跡 第三章 旧蹟 第三節 御厩及神馬塚 附住吉神社神馬物語」のp.237-239に、「住吉神社神馬物語」が掲載されています。「然るに韓人より得たる白馬は皇后御凱旋の後住吉神社につれかへられしが如何なる故にや、其の馬東に向って逃走し、今の田辺町の地まで来りて粟畑の中にかくれたり。此の時田辺の住人某之を発見し其の馬を捕へて引き行き、住吉神社に献ぐ、其の功を以て神社より禄を給り、毎日田辺の地より其の馬を引き来るべしと命ぜられたり。」とあります。このエピソードは、住吉神社の南御厩の舎人である「橘忠三郎翁」が語ったと記載されています。
「橘忠三郎翁」のことについては、以下の資料に記述がありました。
(2) 国立国会図書館デジタルコレクション『東住吉区史』(川端 直正編 東住吉区創設一五周年四カ村編入三周年記念事業委員会 1961)(図書館送信参加館内公開) <当館書誌ID:0000301758>
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3026655 (2021.5.25確認)
p.518(コマ番号288)「第十三章 名所旧蹟その他 御厩及び神馬塚」の項に、「古来住吉神社の神馬は田辺の地で飼育され、南北二カ所の厩があり、北田辺、南田辺にそれぞれ三戸の舎人がいて、代々その飼育にあたり、(中略)舎人の数はその後減じ、明治末年橘忠三郎家一軒となったといわれる。(中略)現在北の厩舎は北田辺郵便局の北隣に荒れ果てたまま僅かに残り、南は性応寺北隣戎湯裏にあって人家となっている。」と記述があります。
- 回答プロセス
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1.東住吉区、田辺町区域の区史、町史を調査し、資料(1)(2)が見つかる。
2.住吉大社に関する資料を確認するが、神馬や厩舎のことは載っていても、神功皇后と白馬に関する伝説についての記述は確認できず。
3.大阪の民話・伝説・伝承に関する資料を確認するが、有用情報なし。
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本 (291 9版)
- 神社.神職 (175 9版)
- 参考資料
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- 当館書誌ID <0070109957> 田辺町誌 大阪府東成郡田辺町/編纂 大阪府東成郡田辺町役場 1925 資料(1)
- 当館書誌ID <0000301758> 東住吉区史 川端 直正/編 東住吉区創設一五周年四カ村編入三周年記念事業委員会 1961 資料(2)
- キーワード
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- 神功皇后
- 神馬
- 住吉大社
- 東成郡田辺町
- 東住吉区田辺
- 北田辺村
- 南田辺村
- 大阪市東住吉区
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000271247