レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2010年06月26日
- 登録日時
- 2020/08/15 00:30
- 更新日時
- 2020/08/28 00:30
- 管理番号
- 2C18005162
- 質問
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解決
明智光秀が、老ノ坂で詠んだ辞世の句「時は今 天が下しる ○○○○○」の最後の部分を知りたい。連歌の発句となった。
- 回答
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お問い合わせの句について、表記は異なりますが下記(1)から(7)の資料に、以下のとおり記載がありました。
このことから、最後の部分は「五月哉(さつきかな)」になります。
(1)『国史大辞典 1 あ-い』 (国史大辞典編集委員会/編 吉川弘文館 1979.3)
p.107-108「明智光秀」の項 p.107
「時は今あめが下しる五月哉」
(2)『明智軍記』 (二木 謙一/校注 新人物往来社 1995.2)
p.290-317第九巻中 p.301
「トキハ今天ガ下知(シタシル)五月哉」
(3)『新名将言行録 3 戦国風雲時代 2』 (河出書房新社 1958)
p.71-90「明智光秀」の章中 p.88
「ときは今あめが下知る五月かな」
(4)『本能寺の変・山崎の戦 -戦国戦記-』 (高柳 光寿/著 春秋社 1958.2)
「三 光秀の決意」のp.30-32「光秀の愛宕山参籠」の項中 p.31
「時は今あめが下しる五月(さつき)哉」
(5)『新名将言行録(主婦と生活 生活シリーズ 229)』 (主婦と生活社 1993)
「戦国/織豊時代」のp.162-165「明智光秀」の項中 p.164
「ときは今あめが下知る五月(さつき)かな」
(6)『俊英明智光秀 -才気迸る霹靂の智将-』(歴史群像シリーズ戦国セレクション) (学研 2002.)
「第四章 検証 本能寺の変」のp.124-137「検証ドキュメント「三日天下」の軌跡 本懐と落魄 光秀天変の二十九日」の節中、「Ⅰ饗応役罷免~愛宕百韻」の項 p.125
「ときは今あめが下る五月哉(さつきかな)」
「第五章 伝説と綺譚 その真実」のp.158-161「光秀も熱中した知性の娯楽 講座 連歌入門」の節中 p.158
「ときは今天(あま)が下しる五月哉(さつきかな)」
(7)『歴史読本 2014-6 / 第59巻 第6号 / 900 明智光秀の謎』 (KADOKAWA 2014.06)
「特集クローズアップ 明智光秀入門」のp.110-115「文化人としての光秀」の記事中 p.114
「ときは今天(あめ)が下しる五月哉(さつきかな)」
なお上述資料に、この句は天正10年、「本能寺の変」直前に愛宕山で興行された連歌会の発句であるとの記述もありました。連歌会には愛宕山威徳院(あたごやまいとくいん)の行祐(ぎょうゆう)や、連歌師の紹巴(しょうは)などが参加したようです。
また、歌舞伎の作中では、辞世の句として詠まれることが下記資料で確認できました。
(8)『歌舞伎事典 :新版』 (服部 幸雄/編 平凡社, 2011.3)
p.300-301「時桔梗出世請状」の項に、「自害の装束で上使を迎えた光秀が辞世の句「時は今、天が下しる皐月かな」をよむと(略)」とあります。
辞世の言葉については、上述資料(2)『明智軍記』のp.318-342十巻中のp.327に記述がありました。
「逆順無二門 大道徹心源 五十五年夢 覚来帰一元」と記述があり、「光秀、時世の句を詠み、溝尾茂朝に与う」と注釈が付されています。
老ノ坂については、上述資料(6) 『俊英明智光秀 : 才気迸る霹靂の智将』に記述がありました。
「第四章 検証 本能寺の変」のp.124-137「検証ドキュメント「三日天下」の軌跡 本懐と落魄 光秀天変の二十九日」の節中、「Ⅱ出陣~老ノ坂」の項p.126に、「光秀が明智秀満らに決意を打ち明けたのは、亀山城を出陣し、丹波・山城国境の老ノ坂を越す手前であったとするのが通説である。」とありますが、お尋ねの明智光秀の句や連歌等との関連についてはわかりませんでした。
- 回答プロセス
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1.レファレンス協同データベースを“明智光秀”ד辞世の句”で検索し、レファレンス事例「「明智光秀」の辞世の句を知りたい。」( http://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000019147 )(2018.8.29確認)を見つける。参考資料を確認するが、当館所蔵なし。出版社の異なる同タイトル資料を複数所蔵していたため、明智光秀の記述を確認すると、(資料3)(資料5)が見つかり、愛宕山でひらかれた連歌百韻の会でよまれた句であることがわかる。
2.当館OPACでフリーワード“明智光秀”ד辞世”ד句”で検索するが、該当する資料なし。
3.当館所蔵資料で明智光秀の伝記を確認し、(資料2)(資料6)が見つかる。(資料6)に「老ノ坂」に関連した記述が、(資料2)に辞世の句も掲載されていた。
4.質問者の句は辞世の句ではないと考え、商用データベース「JapanKnowledge」(2018.8.29確認)で“明智光秀”ד時は今”で全文検索し、(資料1)(資料8)を見つける。
5.(資料1)の参考文献を確認し、(資料4)を見つける。
6.当館OPACでフリーワード“明智光秀”ד連歌”で検索し、(資料7)を見つける。
- 事前調査事項
- NDC
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- 個人伝記 (289 9版)
- 詩歌 (911 9版)
- 参考資料
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- 当館書誌ID <0000166992> 国史大辞典 1 あ-い 国史大辞典編集委員会/編 吉川弘文館 1979.3 9784642005012 (資料1)
- 当館書誌ID <0000436621> 明智軍記 二木 謙一/校注 新人物往来社 1995.2 9784404021830 (資料2)
- 当館書誌ID <0080319673> 新名将言行録 3 戦国風雲時代 2 河出書房新社 1958 (資料3)
- 当館書誌ID <0080269249> 本能寺の変・山崎の戦い -戦国戦記- 高柳 光寿/著 春秋社 1958.2 (資料4)
- 当館書誌ID <0000321577> 新名将言行録(主婦と生活 生活シリーズ 229) 主婦と生活社 1993 (資料5)
- 当館書誌ID <0010332029> 俊英明智光秀 -才気迸る霹靂の智将-(歴史群像シリーズ戦国セレクション) 学研 2002.8 9784056028393 (資料6)
- 当館書誌ID <5112970038> [巻号] 歴史読本 2014-6 / 第59巻 第6号 / 900 明智光秀の謎 KADOKAWA 2014.06 (資料7)
- 当館書誌ID <0012265529> 歌舞伎事典 :新版 服部 幸雄/編 平凡社 2011.3 978-4-582-12642-6 (資料8)
- キーワード
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- 明智光秀
- 連歌
- 愛宕百韻
- 辞世の句
- 愛宕山
- 威徳院
- 行祐
- 紹巴
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 内容種別
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000285857