レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2020年06月27日
- 登録日時
- 2020/12/15 20:01
- 更新日時
- 2021/02/15 15:33
- 管理番号
- 中央-1-0021436
- 質問
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未解決
さいたま市最古のうなぎ屋がわかる資料を探している。
- 回答
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明確に記載されている資料は見つからなかった。
「山崎屋」、「小島屋」、「料亭ふな又」がかなり古くからの創業であるということだが、どの店が最古であるかは判明しなかった。
参考までに、以下の資料およびホームページを紹介した。
- 回答プロセス
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・『読むうなぎ 浦和名物うなぎのブックリスト』さいたま市立北浦和図書館/編集 さいたま市立北浦和図書館 2014年
・『さいたま市伝統産業ガイドブック』さいたま市経済局商工観光部商業振興課 2020年
P2「県立文書館収蔵『会田家文書』(江戸後期の古文書)には浦和から江戸赤坂の紀州藩邸にうなぎを献上していたことが記されているほか、「浦和宿絵図」(弘化年間・1844~48年)に「蒲焼商」の名が記載され、江戸時代以来、浦和の名物として市民や来訪者に親しまれている」とあり。店の名称については記載なし。
P10、11うなぎ店が12店舗紹介されている。この中では「山崎屋」が江戸時代中~後期頃の創業で、一番古い。
・『うなぎの店』さいたま商工会議所 2011年
うなぎの店が27店舗紹介されている。
「山崎屋」江戸の昔より続く浦和の味と記載あり。
・『浦和のうなぎ』浦和区役所区民生活部総務課地域商工室 2017年
うなぎの店が13店紹介されている。
「山崎屋」江戸時代より続く近隣では唯一の鰻店として、浦和のうなぎを今に伝えている老舗店と記載あり。
・『さいたま市指定有形文化財 浦和宿絵図』浦和市立郷土博物館 2011年
山崎屋や蒲焼商が掲載されているのかもしれないが、解読できず。
・『浦和 No11』浦和一名店会 1967年
p33「うなぎの思い出」富田喜久次
「太田窪のうなぎ」という小題で、「明治の末期から大正のはじめの頃は~今のような繁華街ではなかった」、「昔から有名だったのは太田窪の小島家と、別所沼の万店(まんだな)」、「現在は(両店とも)~大料理屋に発展」との記述あり。
p35には、浦和市別所沼畔川魚料理萬店の看板図のようなものが掲載されている。両店が江戸時代にも存在していたかどうかは不明。
・『浦和 読者が選んだ浦和の味の名店50』「浦和」編集室 1974年
p42 蒲焼 小島屋…明治25年発行の『浦和評判記』(国会図書館本)に紹介されていること、歴史200年とも250年ともいわれることが書かれている。
p50 萬店…明治19年秋開業、とある。
p54 山崎屋…寛永と延宝時代の位牌が保存されている、とある。
・「協同組合 浦和のうなぎを育てる会」ホームページ
http://www.urawa-unagi.or.jp/ (最終確認日2021年2月15日)
組合店舗紹介のページに掲載のある「料亭ふな又」は、「天保年間から続く江戸の味」と紹介されている。
- 事前調査事項
- NDC
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- 関東地方 (213 10版)
- 参考資料
- キーワード
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- さいたま市浦和区
- うなぎ
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介 事実調査
- 内容種別
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000290737