レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2020年10月10日
- 登録日時
- 2020/12/10 15:53
- 更新日時
- 2021/02/15 15:25
- 管理番号
- 中央-1-0021432
- 質問
-
解決
浦和区域の地主について、以下のことが知りたい。
[1]昭和初期、浦和に800坪ほどの宅地を所有していた地主はどんな暮らしをしていたのか。
①何で生計を立てていたのか。
②毎日何を食べていたのか。
③何を着ていたのか。
④どんな家に住んでいたのか。
⑤子供はどんな教育を受けたのか。
[2]戦後の財産税や不動産税で生業や生活はどう変わったのか。
[3]家人が昭和20年代に結核を発症した場合、自宅で療養したのか。療養所に入院したのか。
- 回答
-
回答[1]
「800坪ほどの宅地を所有していた地主」について記述のある資料は見つからなかったが、参考として以下の資料を紹介した。
①生計、②食事
・『日本の食生活全集11聞き書 埼玉の食事』農山漁村文化協会 1992年
p193~198「Ⅴ 中山道筋<浦和>の自転車店の暮らしと食」
浦和町で自転車の販売、修理を営む藤倉家の暮らしの記録。日頃の食事や、店での仕事に加え農家へ自転車を売りこみに行って収入を得ていたことなどが書かれている。章のはじめには、「浦和駅を中心とする中山道沿いは、米屋、八百屋、(中略)などが立ち並び、うなぎ屋、そば屋、だんご屋などの食べもの屋もある商店街である。それらの商家の多くは地主である。半農半商は少なく、田畑を小作に出しているので、ほとんどの食材を買って暮らす。」と書かれている。時期は大正12年頃であり、何坪の宅地を所有していたかは明確ではないが、商店を営む地主の生活例として紹介した。
③衣服
・『埼玉生活文化史シリーズ 1 着物の歴史』埼玉県立文化会館/編集 真珠書院 1967年
ふだん着、仕事着、制服、晴れ着など、当時の写真入り、市町村名入りで解説されている。地主が何を着ていたかは明確に書かれていないが、農民の仕事着、商人の衣服などの解説がある。商店を営んでいた地主という点では、商人の衣服が参考になるかと思う。
④住居
・『埼玉生活文化史シリーズ 3 住居の歴史』埼玉県立文化会館/編集 真珠書院 1969年
埼玉県における古代から近代までの住居の変遷や、個々の住居(屋敷構え、家屋配置、間取り、職業別の住居)などが解説されている。
p37「長屋門(1) 浦和市代山」の写真、p52「曲り屋(2) 浦和市上野田」の写真、p39「地主の家 比企郡川島村」の図(敷地内の建物の配置を簡略的に描いたもの)がある。写真に関しては、地主の家であるかはわからない。
⑤教育
・『うなぎのとれたころ 第2版』武藤 公吉/著 浦和子どもの本連絡会/編 瀬間幸子 1999年
浦和生まれの市民(明治22年生まれ)に、昔の暮らしについて聞き書きした記録集である。
家が工場を営んでいたと書かれており、地主の家ではないようだが、p52からの学校についての記述に「中学校に入る前に二年間、高等小学校に通いました。今の高砂小学校ね。あれが埼玉県立師範学校の付属小学校で、付属尋常小学校といいました。(略)針ヶ谷から私が行って、上木崎から一人行って三人位だったかな。こっちから行く人は幾人でもないんです」と書かれており、当時の様子がうかがえる。
①~⑤に関わる資料
・『浦和市史調査報告書』浦和市総務部市史編さん室/編集 浦和市 1978~1979年
第5集~第9集まで、地区別に、明治から昭和の衣食住、生産・生業、社会生活などについて、当時を知る市民(明治初期~昭和初期生まれ)からの聞き取り調査を元にまとめられた報告書である。
第8集のp25、鹿手袋の<地主と小作>の項目には、農地解放前の話として、「当時の地主は五町も土地を持っていれば、たいした税金を払わなくて、遊んでいてもよかった」と書かれている。
地主に関する記述は多くはないが、当時の生活を詳細に知ることができる資料である。
回答[2]
・『浦和市史 第5巻[1] 現代史料編1』浦和市総務部行政管理課/編 浦和市 1999年
p102~ 農地改革の進行状況を調査することを目的とした「農地調査(昭和24年3月1日)」の結果表の要点が摘録されている。そのうち、p104の「(ホ)終戦後における貸付田畑の増減理由別件数及び面積」の表に、「終戦後減少した貸付田畑理由別件数」の理由の内訳の一つに「財産税で納入して」があり、「農家」と「農業をしない農地貸付者」別に件数と面積が記載されている。
回答[3]
・『浦和市史 通史編4』浦和市総務部行政管理課/編 浦和市 2001年
p188 結核療養所建設の必要性に関する記述の中に、「国民健康保険の取扱件数からみると、このうち入院療養を受けているのは、わずか一二五名に過ぎず、大部分は自宅療養の状況にあったものと推測される(『現代史料編』Ⅰ 四七七頁)」と書かれている。出典となっている『浦和市史 第5巻[1] 現代史料編1』にも同じ記述があった。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
-
- 関東地方 (213 10版)
- 参考資料
- キーワード
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- さいたま市浦和区
- 地主
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000290506