レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2011年01月18日
- 登録日時
- 2011/03/03 14:17
- 更新日時
- 2011/03/09 11:54
- 管理番号
- 20110118/350
- 質問
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解決
1、北前船の株仲間の名簿がないか。
2、また、武士が北前船の株仲間や船主になることはできたのか。
- 回答
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1、当館所蔵の北前船関係の資料を見るが、「北前船の株仲間」はまったく出てこない。
「船道定法之記(ふなどうじょうほうのき)」という、 船主の名が分る資料はある。
「船道定法之記(ふなどうじょうほうのき)」とは… 寛政8(1796)年~慶応元(1865)の船主達の申し合わせをまとめたもの。加賀市橋立の船主に限られるが、船主達の名前が出てくる。
『加賀市史』資料編第4巻p292~302 (加賀市史編纂委員会編 加賀市役所 昭和53年発行 K228-10-4)や『橋立町史』p776~783 (橋立町史編集委員会編 橋立町史編纂委員会 平成9年3月発行 K228-1001)に収録。
また、『海の富豪の資本主義』(中西聡著 名古屋大学出版会 2009年11月発行 K683-1025)には、近世の日本海海運有力船主一覧や、明治期の主要な個人船主一覧、主要な北前船船主の資産・所得の一覧などが掲載されており、当時の有力な船主を知ることができる。
2、大聖寺藩では船主に扶持や役職を与えて調達金や献上金を求めることがあった。この場合、有力な船主を在郷のまま扶持を与え「侍格」としたり、城下に住まわせ完全な武士として待遇したりして勝手方の仕事をさせていた。(『北前船の研究』p67~84 牧野隆信著 法政大学出版局 1989年3月発行 K683-63、『加賀市史』通史上巻p849~854 昭和53年2月発行、『橋立町史』p372~p381)
『橋立町史』には「なお大聖寺藩のような北前船主の登用は、加賀藩にも全く見られない方法」とある。
- 回答プロセス
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1、2、いずれも当館所蔵の北前船関係の資料、加賀地方の市町村史を調査した。
- 事前調査事項
- NDC
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- 海運 (683 9版)
- 参考資料
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- 『加賀市史』資料編第4巻 (加賀市史編纂委員会編 加賀市役所 昭和53年発行)
- 『橋立町史』 (橋立町史編集委員会編 橋立町史編纂委員会 平成9年3月発行)
- 『海の富豪の資本主義』 (中西聡著 名古屋大学出版会 2009年11月発行)
- 『北前船の研究』 (牧野隆信著 法政大学出版局 1989年3月発行)
- 『加賀市史』通史上巻 (加賀市史編纂委員会編 加賀市役所 昭和53年2月発行)
- キーワード
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- 北前船
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000081051