レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2020年12月20日
- 登録日時
- 2021/01/19 10:59
- 更新日時
- 2021/03/18 15:30
- 管理番号
- 大分県立郷土-2020-023
- 質問
-
解決
木曽義昌の娘で、毛利高政夫人でもある人物の実名、没年、享年、法名を知りたい。
- 回答
-
<実名について>
【1】『独立国佐伯 郷土史茶飲ばなし』 御手洗一而/著 佐伯史談会 1984
p80-81 義昌の娘に昌子という娘がおり、高政と結婚したという内容の記述あり。昌子という名前の根拠となる出典の記載はなし。
【2】『豊後毛利高政 秀吉から家康へ 戦雲編』 御手洗一而/著 新人物往来社 1984
p132 義昌の娘として昌子の名前が出てくるが、小説仕立ての伝記で、出典の記載はなし。
【3】『佐伯史談 第205号』 佐伯史談会/〔編〕 佐伯史談会 2007
p25 「随想 高政の嫁・姑は永遠のライバル?」
高政の妻の名前は不明だという記述あり。
<没年について>
【4】『温故知新録 2』 佐伯市教育委員会/編 佐伯市教育委員会 1997
p404 「寛永十五年九月二十三日逝去。」とあり。
※このページでは高政の正室について「木曾義昭の娘」と書かれているが、「木曾義昌の娘」の誤植と考えられる。
<享年について>
生年および享年が記載された資料は見つけることができなかった。
<法名について>
【5】『温故知新録 1』 佐伯市教育委員会/編 佐伯市教育委員会 1995
p388-390 「東禅寺安置御先霊様方法名書」
”福壽院様 高政室 木曾伊予守義昌娘”とあり。この「東禅寺安置御先霊様方法名書」は”毛利佐伯藩主の江戸での菩提寺に安置されている歴代藩主をはじめ、妻・側室あるいは子どもたちの法名を記したもの。”と解説されている。
p476-477「福寿院系譜」
高政公正室の系譜を示したものが掲載されており、木曾左馬頭の二女として「毛利伊勢守高政室 号福寿院」という記載あり。
【4】『温故知新録 2』 佐伯市教育委員会/編 佐伯市教育委員会 1997
p404 ”福寿院殿と号した。”とあり。
【6】『温故知新録 3』 佐伯市教育委員会/編 佐伯市教育委員会 1999
p26 ”福寿院様御紋所 御里方 木曾伊予守源義昌女”とあり。また、この頁に福寿院の紋も掲載。
※なお、資料によっては「寿」の字が旧字体「壽」となっている。
- 回答プロセス
-
1 自館蔵書検索システムで「木曽義昌」「毛利高政」等をキーワードに検索し、資料確認。
2 毛利高政が佐伯藩初代藩主であることから、佐伯藩関係の資料を確認。
- 事前調査事項
- NDC
-
- 個人伝記 (289 10版)
- 参考資料
-
-
御手洗一而 著 , 御手洗, 一而, 1927-. 独立国佐伯 : 郷土史茶飲ばなし. 佐伯史談会, 1984.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000039-I002584644-00 -
御手洗一而 著 , 御手洗, 一而(1927-, ). 豊後毛利高政 : 秀吉から家康へ 戦雲編. 新人物往来社, 1984.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I086851786-00 -
佐伯史談会 〔編〕 , 佐伯史談会. 佐伯史談 第205号. 佐伯史談会, 2007.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I087056678-00 -
佐伯市教育委員会 編 , 佐伯市教育委員会. 温故知新録 2. 佐伯市教育委員会, 1997. (佐伯藩史料)
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I086599740-00 -
佐伯市教育委員会 編 , 佐伯市教育委員会. 温故知新録 1. 佐伯市教育委員会, 1995. (佐伯藩史料)
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I086599721-00 -
佐伯市教育委員会 編 , 佐伯市教育委員会. 温故知新録 3. 佐伯市教育委員会, 1999. (佐伯藩史料)
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I086599756-00
-
御手洗一而 著 , 御手洗, 一而, 1927-. 独立国佐伯 : 郷土史茶飲ばなし. 佐伯史談会, 1984.
- キーワード
-
- 木曽義昌
- 娘
- 毛利高政
- 妻
- 夫人
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000292653