レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2012年01月24日
- 登録日時
- 2012/02/23 11:48
- 更新日時
- 2012/03/02 08:53
- 管理番号
- 2009-0060
- 質問
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解決
安永年間(1772~1781)、楯岡にいた「最河」という俳人について調べてほしい。
- 回答
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当館所蔵の資料から、「最河」という俳人についての記述があったものとして、下記の資料をご紹介します。
資料①のP150~151によると、村山市林崎の美濃派俳諧宗匠である坂部壺中の子息市遊から高畠町深沼の武田壺仙ならびに東棹に宛てた書状(明和五年(1768) 四月廿一日付け)の中に、最河坊が父壺中を見舞ってくれたとしてその名をみることができます。また、同じく資料①には、「最河坊は、村山市楯岡の俳人で、鈴木伝兵衛。・・・・若くして耳が遠かったらしい。生没など未詳」とあります。
資料②のP498~501によると、美濃派獅子門「以哉派」の道統を継いだ大野是什坊が、天明三年(1783)に刊行した「道の月」(下)に、「楯岡 最河」の名がみられます。この「道の月」に掲載されている俳人はいずれも「以哉派」に属しているか、これに近い距離を保っている俳人たちとされています。
資料③のP595に、坂部壺中が編集した句集「常のまこと」(安永三年(1774)刊)に、最河の句「片里は物干し空にしぐれるか」が入集されている旨記載があります。
資料④のP157によると、最河は、壺中によって広められた美濃派全盛の時代の楯岡俳壇の一人に挙げられています。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 個人伝記 (289 9版)
- 詩歌 (911 9版)
- 参考資料
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資料①きたむらやまの地域史/北村山地域史研究会編/2008(k261/キタ)
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資料②やまがた俳諧独り案内/落合晃/2005(Yk911.302/オチ)
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資料③村山市史 近世編/村山市史編さん委員会編/1994(k261.1/ムラ/2)
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資料④村山市史 芸術文化編/村山市史編さん委員会編/1986(k261.1/ムラ/5)
※( )は当館の請求記号です。
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資料①きたむらやまの地域史/北村山地域史研究会編/2008(k261/キタ)
- キーワード
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- 最河
- 美濃派俳諧
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000102139