レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2009年08月21日
- 登録日時
- 2009/08/21 09:22
- 更新日時
- 2015/02/19 08:42
- 管理番号
- 10237
- 質問
-
解決
江戸期における一般庶民の丸亀から室津までの渡海方法について、知りたい。
- 回答
-
当館所蔵資料を調査した結果は次のとおり。
丸亀は、江戸時代、金毘羅参詣の受け入れ港だったことから、本州の瀬戸内海沿岸各地から
船の便があった。
○『香川県歴史の道調査報告書 第11集(海の道調査報告書)』
(瀬戸内海歴史民俗資料館/編・発行 1993年)【当館請求記号:K6852 S6 1-11】
3海の道の確定と現状 <丸亀港>(31~35頁)では、「当港から(当港へ)の「渡海の道」を考えるとき、
金毘羅船の往来を欠かすことはできない」として、『金毘羅参詣名所図会』に、大坂川口から、室津・牛窓
そして田之口・下村・下津井を経て丸亀にいたる航路や田之口、下津井から丸亀への渡海についての
細かい説明があることを紹介している。
・『金毘羅参詣名所図会』(弘化4(1847)年刊行)
○『金毘羅信仰研究』(近藤善博/著 塙書房 1987年)【当館請求記号:K1759 K22】
二章金毘羅船とその航法では、『讃州金毘羅参詣道法道中記』にもとづき、丸亀向けの船を出している
港として、室津を紹介している。(記述箇所:84~85頁)
また、同書三章瀬戸内の生活と文化では、室津から丸亀に至る間の牛窓、日比浦、田の口、
下津井などの当時の様子についても記している。(記述箇所:89~118頁)
・『讃州金毘羅参詣道法道中記』(宝暦5(1755)年刊行)
- 回答プロセス
-
『香川県歴史の道調査報告書 第11集(海の道調査報告書)』の所蔵があることが分かり、
丸亀が、江戸時代において、金毘羅参詣の受け入れ港の役割を担っていたことが記されていた。
そこで、「金毘羅宮」関係の資料に、丸亀-室津間の航路に関する記述がないかと調査したところ、
『金毘羅信仰研究』に、二章金毘羅船とその航法および三章瀬戸内の生活と文化に記述を見つけた。
- 事前調査事項
- NDC
-
- 海運 (683 8版)
- 参考資料
- キーワード
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- 渡海
- 海運
- 丸亀
- 室津
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000057342