レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2022年05月30日
- 登録日時
- 2022/06/03 14:14
- 更新日時
- 2022/06/12 22:34
- 管理番号
- 県立長野-22-039
- 質問
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解決
享保15年、および寛政年間の善光寺御開帳(居開帳きょかいちょう)の期間について知りたい。
- 回答
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『長野市史考』 小林計一郎著 吉川弘文館 1969 【N212/90】のp.575-577に、江戸時代の開帳(御回向)について記述がある。
江戸時代の開帳は出開帳(でかいちょう)が終ったあととか、常念仏が三万日とか三万五千日とか
に達した記念に行われた。
とあり、享保15年(1730年)の開帳は、常念仏が二万日に達したとして、4月10日から16日の間行われたことが書かれている。
常念仏回向というのは、江戸時代に城山小学校のところにあった念仏堂で日夜をわかたず念仏を称
えているのが、一定の日数に達した記念の回向で、だいたい十四、五年で五千回になる。享保十五年
に二万回回向があったのがはじめで、その時は東之門常念堂で行われ、六日間の短期間であったが、
「如来御入仏(宝永四年)以後の群参也」というにぎわいをみせた。(付録45小野日記享保十五年
条参照)そのほか回国開帳などの終った時とか、お堂の修理が終わった時とかいう時に、その回向
として開帳が行われた。(-後略-)
10日から16日の間となると、7日間になるが、ここでは6日間と記されていた。
『善光寺史研究』 小林計一郎著 信濃毎日新聞社 2000 【N181/194】p.424にも、近世の開帳について細かに書かれている。
第一回、享保十五年の開帳は常念仏二万回回向で、大いに繁昌したが、「十日より東之門常念仏二
万回御回向、十六日まで。如来御入仏(宝永四年)以後の群衆也」(「小野家日記」『長野市史考』
七六二頁)というように、わずか十七日で終わっている。
とあり、開帳日は変わらないものの、期間は17日間と書かれている。これを受けて書かれたためか、p.426の「善光寺開帳一覧」でも、日数は17日となっている。
『江戸近世暦』日外アソシエーツ編・刊 2018 【449.81/ニチ】 p.298に、享保15年4月の暦が掲載されているが、10日から16日までの間に閏日もなく、4月に閏月もない。
『善光寺いろはにほへと』宮坂勝彦著 日本文化社 1991 【N181/206】 p.71に
その最初は、享保15年(一七三〇)の常念仏二万日記念。春爛漫の4月10日から同月16日まで、
わずか1週間の開催だったが、押すな押すなの大盛況。善光寺門前町の商人たちをいたく喜ばせ
たらしい。
とある。
また、『善光寺の歴史と信仰』 牛山佳幸著 法蔵館 2016 【N181/292】 p.218-219にも、出開帳後の開帳と、念仏堂での常念仏の達成日の開帳とが説明されている。それに続き、
(-前略-)当時の善光寺では以上のような居開帳とは別に、参詣者のために日常的に「御開帳」と
称する行事が行われていた。一例として、文化一三年(一八一六)五月に訪れた日向国延岡の修験
者、野田泉光院の『日本九峰修行日記』を見ると、毎朝卯の上刻(午前五時)から始まる勤行の間
に、高さ一尺くらいの金泥の阿弥陀仏三尊画像を掛けてこれを御開帳と呼んでいたことがわかり、本
尊の善光寺如来像を開扉したわけではなかった。こうした御開帳は四月八日から七月七日までの夏場
に限り、朝と昼の二回行われていたようである。
とあった。ただし、この文脈からは、「当時」がいつからを指すのかは、判別できない。
これらのことから、享保15年の開帳は、4月10日から16日の7日間で行われたと思われる。
なお、『長野市史考』と『善光寺史研究』の記述の元になった「小野家日記」は、『長野市史考』p.752-789に掲載されている。そのうち、日記の解題はp.752-578にあり、「日記本文」が続く。享保15年の条は、p.762。
「享保十五年庚戌暦」(一七三〇)
(-前略-)四月八日、朝雨降。十日ゟ東之門(常念仏堂宝林院)常念仏二万日回向。十六日迄。如
来御入仏以後の群集也。(-後略-)
の記述。この史料のみ、宝林院の名が見られるが、念仏堂が宿坊を兼ねていたか等までは、わからない。
寛政期の居開帳は、『善光寺史研究』 小林計一郎著 信濃毎日新聞社 2000 【N181/194】p.426の「善行寺開帳一覧」に
寛政3年(1791)3月10日-4月30日 51日間 本堂・山門・経蔵・仁王門修復
寛政11年(1799)3月1日-4月30日 60日間 常念仏四万五千日、回国開帳終了
の2例。また、この時の収益に記述があり、
純益が五二二五貫、四十六防へ五六貫ずつ配分
とあった。
- 回答プロセス
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1 郷土分類N181の書棚で、善光寺関連資料を調査する。『善光寺史研究』ほか に記載あり。
2 年代が確定したので、『長野県史 近世史料編 第7巻3 北信地方』 の善光寺領の資料を探す。当該年代の開帳に関するものはない。
3 『長野市誌』『長野市史考』などを調査する。『長野市史考』に細かな記述あり。
<調査資料>
・『善光寺史』上・下巻 坂井衡平著 東京美術 1969【N181/63/1,2】
・『長野県史 近世史料編 第7巻3 北信地方』 長野県編 長野県史刊行会 1982 【N209/11/7-3】
史料として掲載されているものの中に、享保15年の開帳に関するものは収録されていなかった。
- 事前調査事項
- NDC
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- 各宗 (188 10版)
- 中部地方 (215 10版)
- 参考資料
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小林計一郎 著 , 小林, 計一郎, 1919-2009. 長野市史考 : 近世善光寺町の研究. 吉川弘文館, 1969.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001209243-00 (【N212/90】p.575-577) -
小林計一郎 著 , 小林, 計一郎, 1919-2009. 善光寺史研究. 信濃毎日新聞社, 2000.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000007285727-00 , ISBN 4784098569 (【N181/194】p.424) -
宮坂勝彦 著 , 宮坂, 勝彦, 1948-. 善光寺いろはにほへと : 善光寺あれこれ講座初級編. 日本文化社, 1991.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002103110-00 , ISBN 4931275206 (【N181/206】p.71) -
牛山佳幸 著 , 牛山, 佳幸, 1952-. 善光寺の歴史と信仰. 法藏館, 2016.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I027564120-00 , ISBN 9784831860248 (【N181/292】p.218-219) -
日外アソシエーツ株式会社 編集 , 日外アソシエーツ株式会社. 江戸近世暦 : 和暦・西暦・七曜・干支・十二直・納音・二十八〈七〉宿・二十四節気・雑節. 日外アソシエーツ, 2018.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I029091636-00 , ISBN 9784816927324 (【449.81/ニチ】 p.298)
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小林計一郎 著 , 小林, 計一郎, 1919-2009. 長野市史考 : 近世善光寺町の研究. 吉川弘文館, 1969.
- キーワード
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- 善光寺
- 御開帳
- 居開帳
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000316975