レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2018/07/13
- 登録日時
- 2019/03/21 00:30
- 更新日時
- 2024/03/30 00:39
- 管理番号
- M18102617090521
- 質問
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坂田一男のアトリエは、昭和19年と昭和29年の二度水害にあっているらしい。その当時の玉島の様子がわかる資料はあるか。
- 回答
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資料①『SAKATA 第7号』の掲載記事「高潮にあった坂田画伯のカンバス画」に、「画伯のアトリエは玉島の海に近い位置にあった。1944(昭和19)年、1954(昭和29)年の二回、高潮のために水浸しになり作品は海水で損傷したという。」とある。
資料②『長尾町誌』資料③『玉島変遷誌』を確認したが災害に関する記載なし。資料④『黒崎の郷土史』には、黒崎の自然災害史の中に
「1954(昭和29)年:台風12、14、15号と矢つぎ早に来襲
9月16日の12号は猛スピードで接近し、中心が岡山、広島県境を北へ通過、高潮に見舞われた。瞬間最高風速は33.2mを記録」とある。
資料⑤『岡山県防災気象要覧』の「岡山県の気象災害一覧表」に、1954(昭和29)年に発生した台風の一覧がある。そのうち、
「9月13~14日分」と「9月25~26日分」の被害状況の項目には、それぞれ
「風害は全般、高潮は南部全般沿岸藤田村・寄島町・玉島市で堤防決壊(9.13-14)」
「風害甚だし、高潮被害は特に西部で大 玉島市で未復旧の堤防決壊(9.25-26)」
とあり。昭和19年の災害については記載なし。
資料⑥『画人坂田一男』に、坂田一男が記した記録(日記)で昭和29年9月26日の抜粋がある。「…水位往年(19年)の時より1米高し。けだし高潮のためなり。…」などとあり、「このときには9月26日までの五日間、床上浸水して、彼はアトリエの一隅の二階に寝た。絵もまた水禍を受けた。この絵の水禍は昭和19年について二回目であった」という記載がある。
昭和29年9月27日『山陽新聞夕刊』(資料⑦)、昭和29年9月27日『山陽新聞朝刊』(資料⑧)には、台風15号による玉島の被害の様子がわかる記事や写真がある。
資料⑨『岡山県気象六十年報』には、明治24年から昭和25年までの毎日の各種統計(降水量など)が掲載されているが直接的な災害の記録については掲載されていない。この他に昭和19年の水害(高潮)についての資料は郷土関係資料では確認できず。
令和2年2月23日『毎日新聞 岡山版』(資料⑩)によると、その後の調査で1度目の水害は昭和19年ではなく昭和20年の枕崎台風と阿久根台風によるものであることが判明したと書かれている。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 絵画材料.技法 (724 9版)
- 参考資料
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資料①『SAKATA 第7号』坂田一男研究会,2018,88p. 参照はp.18
資料②『長尾町誌』長尾町文化会,1951,168p.
資料③『玉島変遷史』玉島市立図書館,1954,272p.
資料④ 遠藤堅三『黒崎の郷土史』遠藤堅三,2007,360p. 参照はp.226
資料⑤『岡山県防災気象要覧』岡山地方気象台,1968,227p. 参照はp.119
資料⑥『画人坂田一男』玉島文化クラブ,1964,129p. 参照はp.83-84
資料⑦昭和29年9月27日『山陽新聞夕刊』参照はp.2
資料⑧昭和29年9月27日『山陽新聞朝刊』参照はp.6
資料⑨『岡山県気象六十年報』岡山測候所,1953,195p.
資料⑩令和2年2月23日『毎日新聞 岡山版』
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資料①『SAKATA 第7号』坂田一男研究会,2018,88p. 参照はp.18
- キーワード
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- 倉敷市玉島
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- M2018102617024390521
- 調査種別
- 内容種別
- 質問者区分
- 全年齢, 高校生, 中学生
- 登録番号
- 1000253392