レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2008年04月05日
- 登録日時
- 2009/03/11 10:13
- 更新日時
- 2010/02/16 14:59
- 管理番号
- 山形県-2008-0001
- 質問
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解決
山形県で昭和18年前後の金属供出時に実際に供出された銅像にはどのようなものがあったのか。またその代用品(陶製、コンクリートなど)が造られた記録はあるか知りたい。
- 回答
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当館のHPからご覧になれる「山形県文献目録」項目編に「銅像」に関連した郷土資料一覧があります。その中の資料と「文化財」や「戦争記録」「金属供出」などで検索した結果下記の参考資料に関係する部分の記載がありました。
①には「水野三郎右衛門の銅像は、金属回収で撤去され台座だけ残ったが、昭和19年秋にコンクリート塑像として再建した。」とあります。
②には「土屋丑蔵の銅像は、昭和18年10月に金属供出の時撤去され、現在のものは戦後コンクリートで再建されたもの」とあります。
③では「長井市にある横山孫助胸像の変遷として、昭和18年7月、金属回収に応召。戦後再建の議が決まった。運良く原型が保存されていたのでそのまま復原した」とあります。
④には、「昭和5年に建てられた新海竹太郎の胸像が、戦時中供出されたが、戦後の昭和30年に製作再建された」とあります。
⑤には、「山形県庁の庭にあった高橋勝兵衛翁の銅像が回収された後、全県下の鐘の調査が行われ……」とあります。
⑥は全国の状況になると思われますが、「金属回収令の結果、各地の公園の銅像は姿を消し、校庭の二宮金次郎像も陶器製に変わることになった。」とあります。
⑦の山形県史には、金属の回収の概況が載っており、昭和18年には、銅貨・白銅貨・ニッケル貨や銅像・警鐘台・非常階段・病院の鉄製ベッドさえ回収の対象とされたと記載あります。
⑧金属回収令と敗戦による喪失として全国の銅像について説明があります。
なお、参考までに銅像以外の梵鐘の供出については詳しい資料が他にもありました。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 金工芸 (756 9版)
- 参考資料
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- ①「山形市史」下巻 近代編 (K264.1/ヤマ/3) P98
- ②「鶴岡市史」下巻 (YK232.1/ツル/3) P195-196
- ③「長井市史」第4巻 (K272.1/ナガ/4) P223-224
- ④「やまがた史上の人物」後藤嘉一/S40.7 (YK280.3/ゴト) P201
- ⑤「幻の梵鐘-戦時供出の記録-」小形利吉/S51.8 (YK756.4/オガ) 序文の1P
- ⑥「全国戦災史実調査報告書」-金属等の回収・供出に関する記録-/(社)日本戦災遺族会(210.75/ニホ/H9)P62
- ⑦「山形県史」第5巻 (K209/ヤマ/5) P963-964
- ⑧「銅像に見る日本の歴史」前田重夫/創栄出版/2000.2 (281/マエ) P54-59
- キーワード
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- 金属供出、金属回収
- 銅像
- 文化財
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000052260