レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 20180921
- 登録日時
- 2018/12/15 00:30
- 更新日時
- 2019/02/25 16:13
- 管理番号
- 0401000262
- 質問
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解決
夏目漱石が熊本のことを「森の都」だと言ったと「文章世界」という雑誌に書いたと聞いたが、どの号にどのように書いてあるか知りたい。
- 回答
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確かに『肥後史談』に“「あぁ熊本は森の都だな」と思わず口をついて出たという。そのことをあとで文章世界か何かに書かれたのを見たことがある”という記述があるが、全集で確認したところ「文章世界」の中に該当する記述はなかった。漱石本人が熊本に着いた時の感想を述べたインタビュー記事の中にも「森の都」という言葉はなかった。
- 回答プロセス
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1 当館のレファレンスの事例検索で類似の質問があったが、「文献は残っていない」という回答であった。しかし詳細な記録が残っていなかったことと、今回は『文章世界』という具体的な誌名が出てきたため調査した。
2 まず当館に所蔵している6冊の『文章世界』(第3巻9号、第3巻11号、第9巻7号、第10巻4号、第12巻2号、第12巻3号)を通覧したが、該当する箇所はなかった。
3 Google booksで「文章世界 森の都」で検索すると『熊本の文学遺跡』の1ページ目がヒットした。そこで『熊本の文学遺跡』を確認してみると、p1に以下の記述あり。
漱石が熊本に来た時に坂の上から熊本市街を見下ろして「あぁ熊本は森の都だな」と思わず口をついて出たという。そのことをあとで文章世界か何かに書かれたのを見たことがあると「肥後史談」で郷土史家の平野流香氏が書いている。
4 『肥後史談』を確認すると、前編のp134に以下の記述あり。
夏目さんと熊本とを結びつけて考へる時、どうしても思ひ出さずに居られぬのは、先生の熊本に対する、第一印象の言葉である。上熊本から京町臺を通つて、一目に熊本の町を見下した時、『あゝ森の都だな』と思つたといふ事を、當時の『文章世界』か何かの上で云つて居られたのを、見たことがある。森の都――それは近年、わが熊本市の別號であるかのやうに、一般に用ひられるやうになつたが、その命名者が漱石氏であることを忘れてはならない。而してこの樹木の多い古風な森の都に、一世の文豪が、その數年の生活を送られた事を思へば、何だか熊本も、少々光彩を添へる様な氣がする。
5 『漱石全集28 総索引』で「文章世界」の項を見て、該当箇所をすべて確認したが、熊本に対する第一印象の話も「森の都」という言葉も出てこなかった。
6 『漱石全集25』p249~250 に「名家の見たる熊本」(九州日々新聞 明治41年2月9日)が収められており、漱石自身の言葉で熊本についての第一印象が以下のように述べられているが、「森の都」という言葉は出てこなかった。
初めて熊本に行つたときの所感 夫れならお談いたしませう、(中略)然して彼の広い坂を腕車で登り尽して京町を突抜けて坪井に下りやうといふ新坂にさしかゝると、豁然として眼下に展開する一面の市街を見下して又驚いた、而していゝ所に来たと思つた、彼処から眺めると、家ばかりな市街の尽くるあたりから、眼を射る白川の一筋が、限りなき春の色を漲らした田圃を不規則に貫いて、遥か向ふの蒼暗き中に封じ込まれて居る、それに薄紫色の山が遠く見えて、其山々を阿蘇の煙が遠慮なく這ひ廻つて居るといふ絶景、実に美観だと思った。(後略)
7 『漱石全集』で確認した限りでは「文章世界」の中に該当する記述はなかった。漱石が熊本に着いた時の感想を述べたインタビュー記事はあるが、そこにも「森の都」という言葉は出てこなかった、ということを回答した。
- 事前調査事項
- NDC
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- 作品集 (918 10版)
- 参考資料
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- 熊本の文学遺跡|荒木 精之/著|熊本市観光課|1967年 (0115062663|/フマア/01185/)
- 肥後史談 前編|平野 流香/著|熊本印刷出版部|1927年 (0113748669|/フヤ/1939/)
- 漱石全集 第28巻|夏目 金之助/著|岩波書店|1999.3 (0117202556|/918.6/ナ/28)
- 漱石全集 第25巻|夏目 金之助/著|岩波書店|1996.5 (0116317371|/918.6/ナ/25)
- キーワード
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- 漱石
- 森の都
- 文章世界
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000248467