レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2022年03月25日
- 登録日時
- 2022/05/04 15:53
- 更新日時
- 2022/06/03 13:58
- 管理番号
- 奈県図情22-007
- 質問
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解決
昭和20年に、陸軍省の地方機関である奈良連隊区司令部が、市内中心部から郊外の学校や寺院に疎開をしたかどうかについて、教えてほしい。
昭和20年春、空襲による陸軍兵籍簿の焼失を避けるため、日本各地の連隊区司令部では疎開が実施された。一例を挙げれば、学校への疎開が富山・名古屋・浦和・水戸の各連隊区司令部、寺院への疎開が新潟・津の各連隊司令部で行われている。
奈良連隊区司令部の所在地について、昭和17年時点で「奈良市高畑町?」、昭和20年終戦直後で「奈良市紀寺町字阿弥陀前762番地」と若干違うので、疎開の可能性があるのでは推察している。
- 回答
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奈良県下で民間に命じられた建物疎開は、『奈良県警察史』1978が、防空法などの制度に触れた後、P266で「県下では、翌二十年奈良市で一五二五坪、郡山町で一九四〇坪、高田町で四二一二坪の立退きが命じられ」実施されたものの、続いて出された二次命令は実施される前に終戦になったとしています。
続けて郡山警察署でその任に当たった警官の回顧が引かれていますが、具体的に対象となった施設や場所には触れていません。同書では、仏像等の奈良の中心部から、郊外や山間部に移した国宝疎開にも言及がありますが、官公署等の疎開については触れていません。
奈良連隊区司令部の場所は、山下孝二編発行『大和大観』1915では、奈良市高畑吉備塚にあるとします。吉備塚は、現在の奈良教育大学キャンパス西北端にある古墳名で、そのキャンパス外北隣には、自衛隊の地方連絡本部などがある国の奈良第2合同庁舎があり、通例ここが奈良連隊区司令部跡とみなされています。
「奈良盆地地理データベース 小字データベース」( https://koaza.nara-hgis.jp/ 2022/5/4最終確認)によれば、字吉備塚に含まれます。
一方、紀寺町小字阿弥陀前は、前DBによれば、その約500メートル西で、現在の市立奈良病院の駐車場周辺になります。ブルーマップ(『奈良市住居表示地番対照住宅地図』)で地番を確認すると、市立病院が奈良市紀寺701-1の一部、直接762番地は見つかりませんでしたが、市立病院の道を隔てて北に、紀寺759・765といった地番が見えます。市立奈良病院は旧国立奈良病院で(奈良市ホームページ https://www.city.nara.lg.jp/soshiki/93/9654.html 2022/5/4最終確認)、さらに遡れば連隊区司令部と関わりが深い陸軍病院です(『奈良県医師会史年表』P57、1982)。
両者とも、軍施設(奈良教育大学キャンパスは旧歩兵連隊)の内部ないしは隣接地でありつつも、周辺はすでに市街化していた地域であり、高畑吉備塚から紀寺町小字阿弥陀前への移転が行われたとしても、「市内中心部から郊外」への疎開には、当てはまらないかと思います。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 近畿地方 (216)
- 参考資料
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奈良県警察史編集委員会 編 , 奈良県警察本部. 奈良県警察史 昭和編. 奈良県警察本部, 1978.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000039-I002646586-00 -
山下孝二 編 , 山下, 孝二. 大和大観. 山下孝二, 1915.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000039-I001482082-00 -
ゼンリン. ブルーマップ奈良市1 : 国道24号以東 : 住居表示地番対照住宅地図 [2022]. ゼンリン, 2022.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000096-I012709390-00 -
奈良県医師会. 奈良県医師会史年表. 奈良県医師会, 1982.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001616771-00
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奈良県警察史編集委員会 編 , 奈良県警察本部. 奈良県警察史 昭和編. 奈良県警察本部, 1978.
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000315913