レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2016/3/11
- 登録日時
- 2016/04/21 00:30
- 更新日時
- 2016/04/21 00:30
- 管理番号
- 滋2015-0058
- 質問
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解決
「長浜町年寄十人衆」、「三年寄」について知りたい。
- 回答
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『長浜市史』によりますと、「長浜城下町の建設にともない、秀吉は四九町を一〇組に分け、各組に一人ずつの町年寄を定めたといわれ、これが長浜町年寄十人衆のはじまりであると伝えられている。この町年寄は彦根藩治世下にも用いられたが、それらの家は世襲的に年寄役を拝任していた。」とあります。また、「秀吉が取り立てた一〇人は、本町では宮部(みやべ)五郎右衛門・西村甚三郎・下村藤七・田辺九太夫、大手町では樋口(ひぐち)与兵衛・大依(おおより)介右衛門、呉服町の安藤九郎右衛門、船町の吉川五助、魚屋(うおや)町の今村藤右衛門であった。この一〇人の家系から彦根藩治世下においても町年寄役として三人任命されるようになり、十人衆、三年寄り(さんどしより)の称が用いられるようになった。」とあります。
同書には、町年寄歴代の一覧表も掲載されています。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 近畿地方 (216 8版)
- 参考資料
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- 1 長浜市史 第3巻 町人の時代 長浜市史編さん委員会∥編集 長浜市役所 1999年 S-2161-3 p.173-183, p.431, p.507
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2 近江長濱町志 第1巻 本編 上 中川泉三∥編 中澤成晃∥[ほか]校訂 臨川書店 1988年 S-2161-1 p.291-300
- キーワード
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- 長浜町年寄十人衆
- 三年寄
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 学生
- 登録番号
- 1000191473