レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2019年10月29日
- 登録日時
- 2019/12/02 00:30
- 更新日時
- 2019/12/12 14:53
- 管理番号
- 秋田-2379
- 質問
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解決
八郎潟の面積について
1.国土地理院等公式の統計で2位から外れたのは、何年か。
2.それが小中学校の教科書に反映されたのは、何年か。
3.その後、地元でも2位と考えていた時期が続いていたのか。
- 回答
-
下記のとおり案内。
1.国土地理院等公式の統計で八郎潟の面積が大きく減少したのは昭和44(1969)年。
①『全国都道府県市区町村別面積調 昭和43年』(国土地理院、1969、R291/658/1968)資料番号:110569993
→P43 八郎潟 209.97㎢
②『全国都道府県市区町村別面積調 昭和44年』(国土地理院、1970、R291/658/1969)資料番号:110570009
→P44 八郎潟 36.37㎢
2.昭和44年前後の教科書は未所蔵のため確認できず。参考までに、八郎潟についての記載が確認できた教科書関連の下記資料を案内。
③『新編新しい社会科地図』(小泉 武栄/ほか著、東京書籍、2007、375.9/チズ/中1~3)資料番号:124376526
→P122 日本の主な湖沼 八郎潟(調整池) 28㎢ 18位
3.確認できず。参考までに社会科の副読本で八郎潟についての記載が確認できた下記資料を案内(いずれも干拓についての記載のみ)。
④『わたしたちの八郎潟町』(八郎潟校長会/編、八郎潟町教育委員会、1969、A375/724)資料番号:124018078
⑤『みんなの八郎湖 小学生のための八郎湖副読本』(秋田県生活環境部環境保全課/編、秋田県生活環境部環境保全課、1992、A375/635/1992)資料番号:128697257
⑥『わたしたちの大潟村 小学校社会科副読本』(大潟村教育委員会/編、大潟村教育委員会、1994、A375/766)資料番号:128168804
- 回答プロセス
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1.『理科年表』を確認
・『理科年表 第92冊(平成31年)』(国立天文台/編、丸善出版、2018 R403.6/コリ/92)資料番号:123899569
→P624「日本の主な湖沼」において、面積の大きい順に記載あり。八郎潟調整池(はちろうがたちょうせいち)は18位(27.8㎢)
過去の『理科年表』を遡って確認
・『理科年表 第64冊(平成3年)』 18位(27.7㎢)※出典:全国の湖沼面積調査(国土地理院、1990)等
・『理科年表 第52冊(昭和54年)』 15位(48.1㎢)※出典:全国都道府県市区町村別面積調(昭和52年)
・『理科年表 第49冊(昭和51年)』 15位(48.3㎢)※出典:昭和49年度全国都道府県市区町村別面積調
・『理科年表 第47冊(昭和49年)』 2位(219.2㎢)
※出典について次のとおり記載あり「昭和30年度現在・国土地理院資料(中略)なお、八郎潟をはじめ、近年の干拓によりこの表より著しく面積を縮小した湖が多い」
統計データが出版年度と離れているケースが見受けられたため、『日本統計年鑑』を調査することとする。
2.『日本統計年鑑』を確認
・『日本統計年鑑 第1回(1949)』(総理府統計局/編、日本統計協会、1949、351/1/1949)資料番号:111859336
→P16「日本の湖沼」 八郎潟 2位(223.29㎢) ※出典:昭和10年内務省國土局
・『日本統計年鑑 第16回(1965)』(総理府統計局/編、日本統計協会、1966、351/1/1965)資料番号:111167128
→P1「土地 1面積および周囲」 八郎潟 2位(220.4㎢) ※出典:建設省国土地理院および総理省統計局が、終戦後修正を施した5万分の1地形図上で新たに測定した昭和30年10月1日現在の数字で、従来発表されてきた面積とは必ずしも一致しない
・『日本統計年鑑 第22回(1971)』(総理府統計局/編、日本統計協会、1972、351/1/1971)資料番号:111167110
→P1「「土地 1面積および周囲」」 2位(219.2㎢) ※出典:昭和46年全国都道府県市区町村別面積調
統計データが出版年度と離れているケースが見受けられたため、出典の資料を調査することとする。
3.『全国都道府県市区町村別面積調』を確認
・『全国都道府県市区町村別面積調 昭和35年第1部』(国土地理院/編、建設省国土地理院、1961)※未所蔵につき国立国会図書館デジタルコレクションで確認
→P17 八郎潟 219.23㎢
・『全国都道府県市区町村別面積調 昭和40(1965)年』(建設省国土地理院/編、建設省国土地理院、1966、291/658/1965)資料番号:110569969
→P21 八郎潟 218.63㎢
①『全国都道府県市区町村別面積調 昭和43年』(国土地理院、1969、R291/658/1968)資料番号:110569993
→P43 八郎潟 209.97㎢
②『全国都道府県市区町村別面積調 昭和44年』(国土地理院、1970、R291/658/1969)資料番号:110570009
→P44 八郎潟 36.37㎢
4.当館所蔵の教科書を確認
③『新編新しい社会科地図』(小泉 武栄/ほか著、東京書籍、2007、375.9/チズ/中1~3)資料番号:124376526
→P122 日本の主な湖沼 八郎潟(調整池) 28㎢ 18位
そのほかの社会科教科書、地図帳には八郎潟の面積や順位について記載なし。
5.社会科の副読本を確認
④『わたしたちの八郎潟町』(八郎潟校長会/編、八郎潟町教育委員会、1969、A375/724)資料番号:124018078
→P67「八郎潟がかんたくされて、新しい村が生まれました。」
P68「八郎潟がかんたくされてから、漁業は、のこった3分の1ほどのところでおこなわれることになりました」
⑤『みんなの八郎湖 小学生のための八郎湖副読本』(秋田県生活環境部環境保全課/編、秋田県生活環境部環境保全課、1992、A375/635/1992)資料番号:128697257
→P3「干拓前の八郎潟は、面積が約220平方キロメートルあって、琵琶湖に次ぐ、わが国第2の大きな湖でした(中略)この干拓で、八郎潟の78パーセントは陸地になり、そこに現在の大潟村がたんじょうしました」
⑥『わたしたちの大潟村 小学校社会科副読本』(大潟村教育委員会/編、大潟村教育委員会、1994、A375/766)資料番号:128168804
→P73「大潟村は、昭和32年に干拓がはじまるまでは、琵琶湖に次いで、日本で二番目に大きい“八郎潟”という湖でした。」
P77「昭和40年、すべての水をかき出し、八郎潟の底だった所が15,600ヘクタールの陸地になりました」
- 事前調査事項
- NDC
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- 歴史 (2)
- 参考資料
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- 全国都道府県市区町村別面積調昭和43年国土地理院 (P43)
- 全国都道府県市区町村別面積調昭和44年国土地理院 (P44)
- 新編新しい社会科地図小泉 武栄/ほか著東京書籍 (P122)
- わたしたちの八郎潟町八郎潟校長会/編八郎潟町教育委員会 (P67-68)
- みんなの八郎湖秋田県生活環境部環境保全課/編秋田県生活環境部環境保全課 (P3)
- わたしたちの大潟村大潟村教育委員会/編大潟村教育委員会 (P73、77)
- キーワード
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- 八郎潟(ハチロウガタ)
- 八郎湖(ハチロウコ)
- 八郎潟調整池(ハチロウガタチョウセイチ)
- 干拓(カンタク)
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 一般
- 登録番号
- 1000269504