レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2014年09月05日
- 登録日時
- 2014/09/05 11:36
- 更新日時
- 2019/04/26 15:07
- 管理番号
- 秋田-1718
- 質問
-
解決
中国・韓国で現在「年号」は使われているか。
公式に使用されている紀年は西暦か。使われているとすれば、いつからか。
- 回答
-
1 中国
年号が使われていたのは、1911年(明治44年、清朝の滅亡)まで。
1912年(明治45年、中華民国の成立)からは中華民国紀年(1912年を民国元年とするもの)が使用されていた。
1949年(昭和24年)からは西暦が使用されるようになった。
2 韓国
年号が使われていたのは1910年(明治43年、日韓併合)まで。
1961年までは壇君紀元(西暦に2333年を加算)が使われていた。
1962年(昭和37年)からは西暦が使用されるようになった。
1 中国に関する記述
・『中国歴史文化事典』(孟 慶遠/主編、新潮社、1998年)
P.279「公元」の項
「西暦紀元。(中略)中国では辛亥革命後に公歴を採用しはじめたが、なお中華民国紀年を用いていた。
1949年9月下旬に北平で開かれた中華人民政治協商会議第1次全体会議において、初めて正式に紀年に
公歴を用いることが決定された。」
P.837「年号」の項
年号を使用しなくなったことに関する記述は見当たらず。
・『年号の歴史 元号制度の史的研究』所 功/著、雄山閣出版、1989年)
P.4「年を表す方法として現在日本のみで行われている”年号”のはじまりは・・・」
P.12「一方、中国では清朝の滅亡(宣統三年辛亥)とともに、二千年来の年号も廃止してしまった。
代って中華民国は、その翌年(大正元年=1912)を民国元年とし、キリスト紀元を「公元」
(太陽暦を「公歴」)として採用するに至り、中華人民共和国(1949年成立)も公元を公用
している。」
・『元号制批判 やめよう元号を』(井上 清/著、明石書店、1989年)
P.123「中国では二千年以上もつづいた元号制も中国最後の専制君主制清朝の滅亡とともに滅亡したが、
日本ではまだつづいている。」
・『中国史 新版世界各国史』(尾形 勇/編、山川出版社、1998年)
P.369「1912年1月1日、南京で中華民国の成立が宣言された。
(中略)最後の皇帝、宣統帝溥儀は12年2月に正式に退位した。」
2 韓国に関する記述
・『年表で見る韓国の歴史』(金 徳珍/著、明石書店、2005年)
P.364「1962年 1月1日、年号を壇紀から西暦に変更」
・『朝鮮を知る事典』(伊藤 亜人/〔ほか〕監修、平凡社、2000年)
P.268「壇君」の項
「韓国では1961年まで檀君紀元(西暦年に2333年を加算)を使用していた。」
3 両国に関する記述
・『琉球・中国・日本・朝鮮 年代対照表 史料編集参考資料』
(沖縄県文化振興会公文書館管理部史料編集室/編、1997年)
P.131
朝鮮 1910年が「隆煕4年」の表記。以後は記載なし。
P.131
中国 1911年が「宣統3年」の表記。以後は「民国」の表記。
中華人民共和国となってからは年号の記載なし。
・『アジア歴史事典 7 ト-ハ』(平凡社、1984年)
P.283「年号」の項
「年号は今日、中国では清朝の滅亡とともに廃止され、ヴェトナムでは阮氏の越南の滅亡、
朝鮮では日韓の併合によって消滅し、いちじ満州国が大同、康徳の年号をたてたのを除けば、
日本だけが使用しているが、最近ではその廃止を説く意見もある。」
その他調査に使った資料
・東方年表 藤島 達朗/編、平楽寺書店 京都 1996
・古代の時刻制度 日本・中国・朝鮮 斉藤 国治/著、雄山閣出版 東京 1995
・中国の天文暦法 藪内 清/著、平凡社 東京 1990
・暦の歴史 「知の再発見」双書 ジャクリーヌ・ド・ブルゴワン/著、創元社 大阪 2001
・朝鮮史年表 前60万年?1991年12月まで 鄭 晋和/編、雄山閣出版 東京 1992
・東西暦法の対立 清朝初期中国史 アドリアン・グレロン/著、平河出版社 東京 1986
・歴史はいつ始まったか 年代学入門 中公新書 藪内 清/著、中央公論社 東京 1980
・元号事典 東京美術選書 川口 謙二/著、東京美術 東京 1986
・元号を考える 鈴木 武樹/編、現代評論社 東京 1977
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
-
- 日本史 (210 8版)
- 参考資料
- キーワード
-
- 年号
- 元号
- 紀年
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 一般
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000159405