レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2021年03月16日
- 登録日時
- 2021/07/16 19:12
- 更新日時
- 2021/08/25 16:16
- 管理番号
- 京歴-603
- 質問
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紫明通り(京都市)の名前の由来が知りたい。
- 回答
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『京都地名語源辞典』(①)の「紫明通」の項には「「山紫水明」から付けられたとされる」とある(p.283)。
また『京都語源案内』(②)の「山紫水明」の項には次のように書かれている(pp.60-63)。
・昭和5年に開校していた小学校(第二室町尋常小学校;京都市北区)が戦後になって「紫明校」と命名されたこと
・それに続き、紫明校の南に整備された通りを、付近に住んでいた新村出(しんむら いづる)が「紫明通」と名付けたこと
・「山紫水明」という言葉は頼山陽の庵「山紫水明処」(京都市上京区)に由来すること。
一方『京都大事典』(③)に「紫明通」の項目はないが、「紫明小学校」の項には「校名は頼山陽の「山紫水明」の詞にちなむ」とある(p.474)。
更に、『紫明近隣昔の写真展』(④)に掲載された写真5-20(ページ付なし)「歴代校長先生を囲んで(昭和34年)」の解説には、「中央の迫田第2代校長が紫明小学校の命名者という。」とある。なお巻末の年表に、昭和16年、第二室町尋常小学校が京都市紫明国民学校と改称されたこと、昭和22年には同校が京都市立紫明小学校と改称されたことが記されている。これによれば、戦中から既に「紫明」の名を冠していたこととなる。
なお、ウェブサイト「京都風光(京都寺社案内)」内の「紫明せせらぎ公園 (紫明通、堀川通) (京都市北区)」(⑤)のページには、語源について次のように書かれている。
「紫明通の「紫明」の語源については、『広辞苑』を編纂した近現代の言語学者・新村出(しんむら-いづる、1876-1967)の命名によるという。紫明通から、比叡山の最高峰・四明岳が真東に望めることから、江戸時代後期の儒学者・歴史家・漢詩人・頼山陽(1781-1832)による造語「山紫水明」にかけ、「紫明」が生まれたという」
[https://kyotofukoh.jp/report260.html ]【最終確認:2021年7月29日】
- 回答プロセス
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京都(府/市)の地名辞典類や通り名に関する資料を確認した。
⑤はインターネットでキーワード「紫明通␣頼山陽␣山紫水明」を検索して見つかった。このページの文末に参考文献として挙がっていた『京都大事典』(③)を確認した。
また、同じく⑤が新村出を命名者として紹介していたため、当館で所蔵する同氏の資料を調べる中で、付近の棚に並んでいた『京都語源案内』(②)を見つけた。
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本 (291)
- 参考資料
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- ①『京都地名語源辞典』吉田金彦 糸井通浩 綱本逸雄編 東京堂出版 2013 (当館請求記号:K0||291.62||Y86||)
- ②『京都語源案内』黒田正子著 光村推古書院 2004 (当館請求記号:K1||812||Ku72||)
- ③『京都大事典』佐和隆研[ほか]編集 淡交社 1984 (当館請求記号:K0||291.62||Ky6||)
- ④『紫明近隣昔の写真展』大谷大学[編] 大谷大学 2004 (当館請求記号:K112||291.62||O84||)
- ⑤HP「京都風光(京都寺社案内)」内の「紫明せせらぎ公園 (紫明通、堀川通) (京都市北区)」のページ (https://kyotofukoh.jp/report260.html)
- キーワード
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- 道路--京都府--歴史
- 頼山陽
- 新村出
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000301872