レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2010年12月07日
- 登録日時
- 2011/01/20 17:09
- 更新日時
- 2020/08/20 19:01
- 管理番号
- 9000006971
- 質問
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解決
山本五十六がアメリカのP38戦闘機に攻撃され戦死した時に同乗していた人の名前を知りたい。
- 回答
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昭和18(1943)年4月18日、連合艦隊司令長官山本五十六大将と宇垣纏(まとめ)参謀長は、一式陸攻撃2機に分乗してラバウルを出発し、ブーゲルヴィル島ブイン上空で、アメリカのP38戦闘機16機に襲撃された。
1番機に搭乗していたのは、次の計11名で、全員戦死した。
・司令長官山本五十六大将
・副官福崎昇中佐
・軍医長高田六郎軍医少将
・航空甲参謀樋端(といばな)久利雄中佐
・機長主操縦員海軍飛行兵曹長小谷立
・副操縦員飛行兵長大崎朋春
・偵察員海軍上等飛行兵曹田中実
・電信員一等飛行兵曹畑信雄
・同飛行兵長上野光雄
・攻撃員飛行兵長小林春政
・整備員上等整備兵曹上田春雄
2番機は海上に不時着し、12名のうち宇垣纏参謀長ら3名は救出された。
・連合艦隊参謀長宇垣纏海軍少将
・艦隊主計長北村元治海軍少
・通信参謀今中薫海軍中佐
・気象長友野林治海軍中佐
・航空乙参謀室井捨治海軍少佐
・機長主操縦員二等飛行兵曹林浩
・副操縦員飛行兵長藤本文勝
・偵察員海軍一等飛行兵曹谷本博明
・電信員二等飛行兵曹伊藤助一
・同二等飛行兵曹八記勇
・攻撃員飛行兵長野見山金義
・整備員二等整備兵曹栗山信之
- 回答プロセス
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1.山本五十六の伝記を調査
・『世界伝記大事典 日本・朝鮮・中国編』第5巻(ほるぷ出版 1978年)で「山本五十六」の項を見ると、戦死したのは昭和18(1943)年4月18日。ラバウル南方第一戦線の視察激励中に、ブーゲルヴィル島ブイン上空で、アメリカのP38戦闘機長に乗機を待ち伏せされ、機上で戦死した。搭乗者については記述なし。
・『山本五十六(人物叢書)新装版』(田中宏巳著 吉川弘文館 2010年)「山本の戦死」の項があるが、搭乗者についてはp264に「参謀長以下七名を連れて一式陸攻二機に分乗し」、p270に「一機目に山本が乗り、二機目に宇垣参謀長が乗っていた」などとあるが、詳細は不明。
2.日本史(昭和史)のレファレンスブックを調査
・『年表太平洋戦争全史』(日置英剛編 国書刊行会 2005年)で昭和18年4月18日(日)の項を見ると「連合艦隊司令長官山本五十六大将戦死「甲事件」」とあり、搭乗者については「一番機に搭乗の司令長官山本五十六大将、副官福崎昇中佐、軍医長高田六郎軍医少将、航空甲参謀樋端久利雄中佐、操縦員の小谷立飛行兵曹長ら全員戦死。二号機は海上に不時着、搭乗の参謀長宇垣纏(まとめ)中将、主計長北村元治主計大佐、操縦の林浩二等飛行兵曹の三名は救出されたが気象長友野林治中佐、通信参謀今中薫中佐、航空乙参謀室井捨治少佐ら九名戦死」とある。
・『昭和ニュース事典』第8巻(昭和ニュース事典編纂委員会編集製作 毎日コミュニケーションズ 1994年)で「山本五十六」の項を確認すると、「連合艦隊司令官長、南方戦線で戦死」(昭和18(1943)年5月22日「毎日新聞(大阪)」などの新聞記事があるが、搭乗者については記述がない。
3.『世界伝記大事典 日本・朝鮮・中国編』第5巻で参考書として紹介されていた資料を調査
・2機目に搭乗していた宇垣纏参謀長の記した『戦藻録:大東亜戦争秘記(明治百年史叢書)』(宇垣纒著 原書房 1979年)p279-298の第11節「山本元帥の戦死」を確認するが、同乗者についての記述はなし。
・『阿川弘之全集』第11巻 評伝(阿川弘之著 新潮社 2006年)収載の「山本五十六」にも搭乗者の名前はあるが、全員の名前の記載はない。
4.〔追加調査〕
・『大本営海軍部・聯合艦隊(戦史叢書)』第4巻 第三段作戦前期(防衛庁防衛研修所戦史室著 朝雲新聞社 1970年)の第1章「戦略態勢確立への努力」3「南東方面の作戦指導」p130~148に「山本司令長官の戦死」の項があり、搭乗者については「陸攻一番機 山本司令長官、福崎副官、高田艦隊軍医長、樋端航空(甲)参謀」「陸攻二番機 宇垣参謀長 北村艦隊主計長、今中通信参謀、室井航空(乙)参謀、友野気象長」と記述がある。
・『暗号はこうして解読された:対日情報戦と連合艦隊』(原勝洋著 ベストセラーズ 2001年)の第4章「パターン化された行動電:山本五十六連合艦隊司令長の死」には、「一番機には、連合艦隊司令長官山本五十六大将、副官福崎昇海軍中佐、艦隊軍医長高田六郎海軍少将、航空甲参謀樋端久利雄海軍中佐と機長以下搭乗員7名の計一一人、そして二番機には、連合艦隊参謀長宇垣纏海軍少将、艦隊主計長北村元治海軍少、通信参謀今中薫海軍中佐、気象長友野林治海軍中佐、航空乙参謀室井捨治海軍少佐と機長以下搭乗員七名の計一二人が搭乗していた」とある。
5.〔追記事項 2011.4.26〕
・国士舘大学附属図書館さんから次の情報提供があった。
『山本五十六検死ノート』(蜷川親正著 光人社 1971年)p119 に山本大将以下連合艦隊首脳以外の搭乗員全員の記載がある。昭和18年4月23日付 第二十六航空戦隊参謀より第一根拠地隊軍医あて文書「戦死者氏名の件通知」によるものでp118に同文書の写真も掲載あり。
また同書は現在絶版だが後加筆され、『山本五十六の最期』(蜷川親正著 光人社 1996年)として出版され、上記の記述はそのまま変更なく記載(p133-134)。
・再度所蔵資料について調査したところ、『山本五十六の最期:検死官カルテに見る戦死の周辺』(蜷川親正著 光人社 1986年)p87に同様の記述があった。
6.〔追加調査・修正 2020.8.20〕
・レファレンス協同データベースをご覧になった方から情報提供があり、『山本五十六の最期:検死官カルテに見る戦死の周辺』p87の記述中、「副操縦員飛行兵長大崎明春」とあるのは間違いであり、正しくは「大崎朋春」とのこと。
・国立国会図書館にレファレンスを依頼し、『山本長官機遭難時のミステリーに迫る! : 燦大崎海軍二等飛行兵曹 増補版』(森田勝雄 著, 柏井秀夫 解説. [森田勝雄], 2005.12 )を確認してもらったところ、「大崎朋春」と記載されているとの回答を得た。この資料中、大崎氏に関する記述は、「山本長官遭難機の搭乗者と乗務員」(氏名と階級、出身地等の一覧)、「大崎海軍二等飛行兵曹遺影」(写真キャプションに「大崎朋春海軍二等飛行兵曹」とあり)、「山本長官遭難時のミステリーに迫る」(遭難時の状況を推理したものだが、著者による大崎家訪問や墓参についての記述あり)等の項目に記載されているとのこと。
・これを受け、回答を修正した。
- 事前調査事項
- NDC
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- 個人伝記 (289 9版)
- 日本史 (210 9版)
- 参考資料
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- 『年表太平洋戦争全史』(日置英剛編 国書刊行会 2005年) (p219)
- 『大本営海軍部・聯合艦隊(戦史叢書)』第4巻 第三段作戦前期(防衛庁防衛研修所戦史室著 朝雲新聞社 1970年) (p132)
- 『暗号はこうして解読された:対日情報戦と連合艦隊』(原勝洋著 ベストセラーズ 2001年) (p186)
- 『阿川弘之全集』第11巻 評伝(阿川弘之著 新潮社 2006年) (p626-627)
- 『山本五十六の最期:検死官カルテに見る戦死の周辺』(蜷川親正著 光人社 1986年) (p87)
- 『難読・稀少名字大事典』(森岡 浩編 東京堂出版2007年) (p456)
- キーワード
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- 山本五十六
- 太平洋戦争
- 海軍甲事件
- 甲事件
- 「い」号作戦
- 照会先
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- 国立国会図書館
- 寄与者
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- 国士舘大学附属図書館
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 伝記・人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000076950