レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2011年10月06日
- 登録日時
- 2011/11/06 17:21
- 更新日時
- 2011/11/06 17:21
- 管理番号
- 9000007698
- 質問
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解決
日本の国の名は、古代から現代までどのように呼ばれていたのか。
- 回答
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日本の呼称は古くから数多くあり、大和政権による統一以来「やまと」「おおやまと」と称していた。「日本」が国号として定められた時期は明かではなく、大化から大宝までのある時期だと考えられる。近代の正式な国号は、明治憲法では「大日本帝国」、現行憲法では「日本国」である。詳細については照会資料をご覧ください。
- 回答プロセス
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1.『国史大辞典』第11巻(国史大辞典編集委員会編 吉川弘文館 1990年)「にほん 日本」の項→「国号」の小項目あり。「日本」が国号として定められた時期は明かではないが、大化から大宝までのある時期だと考えられる。古く数多くの呼称があったが、「やまと」地方が統一するに及び「やまと」「おおやまと」が国号として用いられるようになった。中国では、「委」「倭」と呼んでいたため、「委」「倭」を「やまと」、「大委」「大倭」を「おおやまと」にあてて用いていた。その後「日本」と改め用いるようになってもこれを「やまと」と読んだり、又「にっぽん」「にほん」の両方の音読が生じた。わが国の古い呼称としては、「大八洲(おおやしまくに)」(「養老令」)「大八洲(島)国(おおやしまくに)」(「古事記」、「日本書紀」神代)「葦原中国(あしはらなかつくに)」(「古事記」、「日本書紀」神代)「豊葦原之千秋長五百秋之瑞穂国(とよあしはらのちあきのながいほあきのみずほのくに)」(「日本書紀」神代)「豊葦原千五百秋瑞穂国(とよあしはらのちいほあきのみずほのくに)」(「日本書紀」神代)「秋津島(洲)」(「古事記」、「日本書紀」神武記・孝安記)「大日本豊秋津洲(おおやまととよあきずしま)」(「日本書紀」神代)がある。
2.『世界大百科事典』第21巻(平凡社 2007年)「にほん 日本」の項→「国号」の小項目あり。日本では大和政権による統一以来、自国を「ヤマト」と称していたようである。中国や朝鮮では古くから日本を「倭(わ)」と呼んできた。そこで、大和政権の代表者も中国と交渉する時には、国書に「倭国王」と記すようになった。中国との国交が中絶して再開された時には、倭と自称することは避けるようになったらしい。いつから倭に代えて日本を国号とすることにしたのかは明かではない。「日本」という国号ははじめは音読されていたようで、「ヒノモト」という訓読は「ヒノモトのヤマト」のように枕詞として用いられ、「ヒノモト」が「ヤマト」と並ぶ日本語風の国号として独立するのは平安時代以降である。近代の正式な国号は、明治憲法では「大日本帝国」、現行憲法では「日本国」である。
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本史 (210 9版)
- 参考資料
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- 『国史大辞典』第11巻(国史大辞典編集委員会編 吉川弘文館 1990年) (p105-106)
- 『世界大百科事典』第21巻(平凡社 2007年) (p387-388)
- キーワード
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- 日本
- 国名
- 国号
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 日本の歴史
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000096300