レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2007/03/18
- 登録日時
- 2007/08/02 02:11
- 更新日時
- 2014/01/09 11:41
- 管理番号
- 埼熊-2007-002
- 質問
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解決
荻原重秀が延宝年間に行った「畿内総検地(五畿内総検地)」とはどんな事業か知りたい。
- 回答
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延宝検地のことである。以下、『国史大辞典 2』p422より引用。
延宝元年(1673)および同6年3月から翌7年8月にかけて畿内の幕領に実施された江戸時代の検地。直接の動機は、寛文10年ごろから延宝初年にかけての洪水・気候不順などによる慢性的な不作、延宝3年には全国的飢餓と化したという事情による。慶長検地と比べると、粗放であった検地基準が是正され、農民の負担の不均衡がかなり調整されている点が特色である。
以下の所蔵資料を提供する。
『江戸幕府の権力構造』(岩波書店)p516-518に記述あり。
- 回答プロセス
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『国史大辞典 2』p790より荻原重秀(1658-1713)は江戸時代中期の幕府勘定所奉行。
『寛政重修諸家譜 10』p142-143〈荻原重秀〉の項に「延宝7年12月3日、さきに畿内および近国検地のことをうけたまはりにより時服2領羽織1領をたまふ。」とあり。
『国史大辞典 2』p422〈延宝検地〉の項の記述「勘定所役人の付添いのもとに畿内最寄りの譜代・外様の大名をあたらせた」から、荻原重秀が行なった延宝年間の畿内総検地であることを確認。参考文献より『江戸幕府の権力構造』を紹介する。
追記:後日『勘定奉行荻原重秀の生涯』(集英社)を収蔵する。本書p51-65「延宝検地」の章に詳細な記述あり。
- 事前調査事項
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『日本史大事典 1』(平凡社)の「荻原重秀」の項に「延宝の畿内総検地で頭角を現し、将軍綱吉初政に断行された総代官の会計監査に特命されてあたったと言われ・・・」との記述がある。
- NDC
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- 日本史 (210 9版)
- 個人伝記 (289 9版)
- 法制史 (322 9版)
- 参考資料
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- 『日本史大事典 1』(平凡社)
- 『寛政重修諸家譜 10』
- 『江戸幕府の権力構造』(岩波書店)
- 『勘定奉行荻原重秀の生涯 新井白石が嫉妬した天才経済官僚』(村井淳志 集英社 2007)
- キーワード
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- 延宝検地-江戸時代
- 荻原 重秀(オギワラ シゲヒデ)
- 勘定所奉行
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000036351