レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2008/06/10
- 登録日時
- 2008/12/11 02:10
- 更新日時
- 2009/01/06 14:40
- 管理番号
- 埼浦-2008-013
- 質問
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未解決
秩父神社の三猿の彫刻について、①「逆さ三猿」とされているらしいが、三猿(見ざる聞かざる言わざる)のパロディと考えてよいのか。②この彫刻は社殿が造営された時点(天正20年 1592年)にすでにあったのか。
- 回答
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①三猿の性格について、具体的な記述のあるものは確認できず。
②秩父神社の彫刻については、若干の記述がある資料は見つかった。ただし、三猿の彫刻に関する具体的記述がある資料は見あたらず。以下の資料を紹介する。
『埼玉県指定文化財調査報告書 第1集』
p6-11「秩父神社社殿」の項に、天正20年(1592)に徳川家康の援助を受け再建(旧社は武田信玄の手により焼失)したのち、天和2年(1682)に増改築しており、そのときに現拝殿の彫刻は本殿から転用され、本殿の彫刻を新たに付加したと推測される旨の記述あり。
『埼玉の近世社寺建築』
p96-97「秩父神社」の項に、上記報告書での記述を紹介し、天和2年増改築説に疑問を示している。
『旅の手帖 2004年4月号』
p56-57に「秩父神社・彫刻の妙技」として、イラストで三猿など彫刻を紹介している記事あり。
- 回答プロセス
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記述がなかった資料は以下の通り。
『埼玉の神社 入間・北埼玉・秩父』の〈秩父神社〉の項には三猿の記述なし。
『埼玉大百科事典 3』〈秩父神社社殿〉の項には、三猿についての記述はないが、「天和2年(1682)に本殿と幣殿をつなぎ、極彩色の装飾彫刻をつけ」とあり。
『秩父神社 さきたま文庫 2』 三猿の記述なし。p14に、昭和41年9月台風のため社殿が破壊。昭和45年現在の社殿が竣工。この改修工事で社殿周囲の飾り彫刻類はすべて彩色しなおされた旨の記述あり。
『秩父三社 週刊神社紀行 46』p16の境内地図に「三猿」はあるが、詳細については記述なし。
『やさしいみんなの秩父学』p246、三猿の記述なし。「天和2年(1682)には幣殿・拝殿が増築され、社殿全体に彫刻を巡らせて」とある。
『秩父市誌』p1004-に秩父神社の項があるが、三猿の記述なし。
『秩父地方史研究必携 2 近世』p215-「秩父神社の社殿」の項には三猿の記述なし。
『秩父神社のこと 社記 夜祭 芸能』 三猿の記述なし。
『武蔵史料銘記集』p270-271、秩父神社の棟札には三猿の記述なし。
『埼玉叢書 3 新訂増補』p79-85「秩父大宮妙見宮縁起」の天正20年造営時の部分に三猿の記述なし。p86-94「秩父妙見宮造営次第」三猿の記述なし。
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本の建築 (521 9版)
- 貴重書.郷土資料.その他の特別コレクション (090 9版)
- 彫刻 (710 9版)
- 参考資料
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- 『埼玉県指定文化財調査報告書 第1集』(埼玉県教育委員会 1962)
- 『埼玉の近世社寺建築』(埼玉県教育委員会 1984)
- キーワード
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- 神社建築-埼玉県-秩父市
- 建築装飾
- 秩父神社(秩父市)
- 三猿
- 木彫
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000049607