レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2020年09月19日
- 登録日時
- 2020/09/21 13:40
- 更新日時
- 2020/11/05 14:11
- 管理番号
- 2020-31
- 質問
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解決
今治の継ぎ獅子に関して、用語的なこと(衣装・道具・場面などの名称や意味、進行手順など)が詳しく解説されている資料はあるか。
- 回答
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資料によって、「継ぎ獅子」「継獅子」と表記に違いがある。
【資料1】p156には、以下の記述がある。
継ぎ獅子(つぎじし)
若者が演じる立ち芸を伴った獅子の芸能。今治・越智地方で五月の祭りや、秋祭りにも行われる。雄(黒毛)雌(白毛)二頭立ての獅子に、若者が大勢入れるように油単(ゆたん)と呼ばれる八畳ほどの極彩色の布をとりつけ、次々と振り手が交代しながら太鼓にあわせて獅子頭(がしら)を振っていた。振り方は日詣(まい)り・曲(きょく)・練(ねる)・三番叟(さんばそう)・摺鉦(すりがね)・使い込みなどがあった。こうした獅子の芸能のなかでも「立ち芸は芸の花」といわれ、重要な構成要素ではあったが、このほか高年(年長者のこと)のなかで最も芸達者な者が演じた提婆(だいば)・舞伎(まえぎ)、獅子との聖婚を演じる親爺(おやじ)、組み運動を基本にした狐(きつね)などがあり、朝倉村では俄(にわか)芝居が獅子のなかから飛び出した。立ち芸は若者の肩の上に若者が立ち、さらにその上で子役と呼ばれる六~一〇歳の少年が獅子頭をかぶって曲芸のような所作を披露する。肩に乗る人数で二(ふた)継ぎとか三(み)継ぎとか呼ばれ、五(いつ)継ぎの芸を伝えているところもある。本来、獅子を伝える地域には継ぎ獅子という言葉はなく、一部好事家によって使われていたものが一般化している。昭和五八年(一九八三)現在、今治市一三、波方町四、大西町四、菊間町三、玉川町一、朝倉村三、大三島一の各地区に伝承されている。今治・越智地方では五月になると、東の方から次々に太鼓が鳴り始め、一カ月にわたって獅子の祭りが行われる。
獅子の構成・振り方などの違いから二つの流派があった。東に鳥生(とうりゅう)獅子があり、西には池ノ源流と呼ばれる獅子があり、大西町あたりが両派の接触地点になっている。同町宮脇などは、もとは池ノ源流の庭獅子を主体にした一頭立て獅子であったが、鳥生獅子の影響を受けて今日に至っている。大三島町宮浦の獅子は地方(じかた)のものと少し違っており、兵庫・岡山方面との関連性がうかがえる。獅子、立ち芸は、古くから伊勢代神楽(だいかぐら)の影響を受けてきたと言われ、特に二継ぎや舞伎の芸能にその面影をしのぶことができる。(中略)獅子は祭礼の宮出しに、神事の一環として「道中芸」の形で披露される。舞台は今治・野間神社や大西・大井八幡神社のように高い石段を使ったり、波方町小部や大西町九王のように獅子舟であったり、地域の環境に見合った祭り空間を演出する。道中う芸では奴(やっこ)・山車・舟神輿(ふなみこし)・神輿など他の出し物とともに芸能ポリフォニー(多音、多声)を形成するのに対して、「場使い」では獅子が単独で演じられることが多く、擬(もどき)の芸能として観客との交流がもたれた。第二次大戦後、今治吹上公園に近隣地区から獅子連が集まり、立ち芸の競演をしたのを皮切りに近年でも五月一〇日の今治祭りの中心行事になっている。また獅子は「使い込み」と言って家々を門付けすることがあった。祝儀をもらうことを「ホイトに行く」といい若者組の財源になっていた。
【資料2】p192に、「継獅子」の項目がある。以下から閲覧できる。
http://www.i-nabi.jp/system/regionals/regionals/ecode:2/50/view/6594?keyword=%E7%B6%99%E7%8D%85%E5%AD%90
【資料3】p165~173に、継獅子の演技の流れなどが書かれている。以下から閲覧できる。
http://www.i-manabi.jp/system/regionals/regionals/ecode:1/9/view/1651?keyword=%E7%B6%99%E3%81%8E%E7%8D%85%E5%AD%90
【資料4】p254~255に、大三島の宮浦で行われる継獅子について、人員構成や演目が書かれている。以下から閲覧できる。
http://www.i-manabi.jp/system/regionals/regionals/ecode:1/1/view/162?keyword=%E7%B6%99%E7%8D%85%E5%AD%90
【資料5】p117~119に、継獅子を含む獅子舞の衣装について書かれている。以下から閲覧できる。
http://www.i-manabi.jp/system/regionals/regionals/ecode:1/14/view/2322?keyword=%E7%B6%99%E7%8D%85%E5%AD%90
【資料6】p32~35に、「天に近づく獅子ー『継ぎ獅子』の伝統と継承ー」の記事があり、波方町樋口地区の継ぎ獅子について、以下のようなストーリーが書かれている。
波方町の大祭は、今治地方春祭りの最後となる五月第四日曜日に催される。大祭では、神輿が、神事の後の獅子舞に続いて社殿から繰り出し、そのまま村境の樋門のところまで行って、潮水で清められて境内に帰ってくる。獅子舞が行われている馬場の一角にあるお旅所で村回りのための神事が行われ、獅子舞の終了を待ち、すべての飾りをはずして終日の村回りとなる。一方、獅子のほうも、宮出しした神輿に続いて石段を降り、馬場の一段上にある踊り場で雌雄が交わって獅子子が生まれることから獅子芸が始まる。我々俗人の代表の狩人が、獅子が神の使いであることを知らずに鉄砲を向けてしまって、怒り、荒れる場を、天狗の舞で静め、それから、順次継ぎ獅子が行われていく。牝二継ぎ、牝二継ぎ、三継ぎ、四継ぎ、五継ぎと続くのであるが、その合間に狐のコミカルな舞があったり、幼児の厄除けを祈願する獅子舞などが行われたりする。生まれてきた獅子子たちが大切に扱われ、人々の力を合わせている姿に村の将来の繁栄を見た獅子は、安心して天に帰っていくという、樋口オリジナルのストーリーになっている。餅まきをした後、大黒さん、蛭子さんに扮した獅子子が獅子の背に乗り、参
道の中ほどの太鼓橋で豊穣の象徴の鯛を釣りあげて一連の獅子芸が終了となる。
また、「継ぎ獅子演技上のポイント」として、「継ぎ獅子の役割のうち、一番下で地面に立つものを「台」、その上を「中台」と呼んでおり、四継ぎ以上では中台の人数がふえていく」「二継ぎでは、重たい獅子頭をかぶり、片足で鈴・扇子を振りながら場内を回ったり、台が飛び跳ねたり走ったりする上で芸を行う」「三継ぎ獅子には、台、中台のほか、中台の膝をバランスをとりながら押し上げる役目の「前持ち」が加わる」「四継ぎでは、台の腋に肩を入れて支える役が二人加わる」「五継ぎは中台が三人になるが、下の中台は座ったままで、座っているその太ももの上に真ん中の中台が立ちあがる」などと書かれている。
【資料7】は、p66~69に以下のように継ぎ獅子の構成について書かれている。
「継ぎ獅子」の構成は継ぎのようなものだ。「二継ぎ」は土台になる大人の肩に獅子頭をかぶった獅子子(ししこ・神童)が立ち、後ろにユタンを束ねてもつ者がつきそう。
「三継ぎ」は土台の周囲に介添えがつき、その上に中台が乗り、さらに獅子子が立って周囲を取り囲むように補助の者が控える。獅子子は御幣や太刀、扇子、傘などの採物を手に、祓いや祝福の所作、曲芸をおこない、土台とともに旋回することもある。「四継ぎ」も基本的にはおなじである。
- 回答プロセス
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【資料1】で概略を調べた後、当館の蔵書検索及び愛媛県生涯学習センターの「えひめの記憶」でキーワード検索を行った。
- 事前調査事項
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http://blog.livedoor.jp/sinonome7777/archives/52949621.html
こちらで紹介されている写真のように、大きな獅子の中に演者が複数入って練り歩く(?)場面など。
- NDC
- 参考資料
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- 【資料1】『愛媛県百科大事典 下巻』 愛媛新聞社 昭和60年 <当館請求記号:RK290-63-2>
- 【資料2】『愛媛県史 民俗下』 愛媛県 昭和59年 <当館請求記号:K200-31>
- 【資料3】『昭和を生き抜いた人々が語る 愛媛の祭り』 愛媛県生涯学習センター 平成12年 <当館請求記号:K386-シヨ-2000>
- 【資料4】『昭和を生き抜いた人々が語る 瀬戸内に島々の生活文化』 愛媛県生涯学習センター 平成4年 <当館請求記号:K290-86>
- 【資料5】『えひめ、その装いとくらし』 愛媛県生涯学習センター 平成17年 <当館請求記号:K383.1-エヒ-2005>
- 【資料6】『文化愛媛 №71』 愛媛県文化振興財団 2013年10月
- 【資料7】『季刊 日本の祭り 平成27年冬号』 ゆめディア 平成27年 <当館請求記号:K386-キカ-2015>
- キーワード
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- 継ぎ獅子
- 継獅子
- 祭り
- 今治
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000287379