レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2019年8月13日
- 登録日時
- 2019/08/13 15:04
- 更新日時
- 2019/09/12 18:33
- 管理番号
- 島根郷2018-11-007
- 質問
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解決
松江藩主・松平治郷が治療のために京都の医師「畑立庵」を招いているが、この人物について知りたい。
- 回答
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当館所蔵資料より、下記の資料を紹介し回答。
資料1:p1303-1304に「畑家」があり、p1304に「畑柳安」あり。1721-1804。名は惟和、字は厚生、通称は柳安・黄山。安藤碩翁の子。柳安は幼時より俊敏であったので畑柳景がこれを認め、後嗣とした。延享2年(1745)に法橋、宝暦7年(1757)法眼にすすむ。天明7年(1787)に法印となり号を医学院と賜った。京都御所の西に学館を設け「医学院」と名付けた。
名前の漢字は異なるが音が同じであること、京都の医師であり大名を診察するにふさわしい身分(安永5年時で法眼)であること、松平治郷(1751-1818)と年代が近いことなどから、「畑柳安」である可能性が高いと回答する。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
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島根大学附属図書館所蔵『温故録』(桑原文庫)6巻の安永5年5月28日の記述。デジタルアーカイブで公開。
- NDC
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- 医学 (490 8版)
- 参考資料
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【資料1】京都府医師会 編 , 京都府医師会. 京都の医学史 〔本文篇〕. 思文閣出版, 1980.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I069427371-00 (当館請求記号 490.2/キ/1)
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【資料1】京都府医師会 編 , 京都府医師会. 京都の医学史 〔本文篇〕. 思文閣出版, 1980.
- キーワード
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- 松江藩
- 松平治郷 不昧
- 医療
- 診療
- 畑柳安
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000260143