レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2012年02月03日
- 登録日時
- 2012/02/23 11:36
- 更新日時
- 2012/03/02 08:53
- 管理番号
- 2009-0059
- 質問
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解決
明治初期に殖産興業をめざし、牧牛を唱えた平山慶次郎(ひらやま けいじろう)についての資料はあるか。
- 回答
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当館所蔵の資料から、平山慶次郎についての記述があったものとして、下記の資料をご紹介します。
資料①のP54~61に、「明治初期の殖産興業(牧牛業)首唱者平山慶次郎」と題する論文が掲載されています。 その中で、慶次郎について、「新たに牧畜飼育の新分野に専念し、もっぱら牧牛を飼育することで殖産の道を開き、海外の良種を求めては畜産の改良発達に範を示そうとした豪農」と記載されています。
また、1881年(明治十四年)九月、明治天皇の県内巡幸にあたっては、慶次郎宅が休憩場に指定され、最上川岸荻野袋原においては放牧牛二百頭の実況をご覧に入れたとあります。この牧牛の天覧は、あくまでも天皇の御希望に依るもので、慶次郎にしては身に余る光栄だったと述懐しています。のちに、牧牛首唱者平山慶次郎へと特記のうえ、金十円が与えられたとの記述があります。
この後、「慶次郎の牧牛殖産は一気呵成に進み、上ノ畑に牧場を開拓し、さらに福島県の奥安達太良山麓に牧場を拓いて搾乳し、牛乳販売を開始している」とあります。
資料②のP384~385には、慶次郎は、村一の有力者だったが、牧牛のため政府より資金を借入し、種牛は外国より輸入してホルスタイン種の放牧を実施したこと、子育て中母乳不足の場合、牛乳をもって保育すべしと教え、人体を壮健にするため牛肉を食し滋養をとるべしと提唱したことなどが記載されています。
資料③のP31~35には、明治十四年九月の明治天皇の県内巡幸の際、荻野袋原で二百頭を放牧したのは、当時、二百頭の牛を放牧し天覧に供する場所がなく荻野袋原を選んだこと、陛下が平山家に御休憩されるに至った基因について慶次郎の牧牛首唱に対し御奨励の大御心から出られたものと拝察されることなどが記載されています。
資料④毎日新聞山形版に、「身辺雑記今昔」と題したシリーズの中で、慶次郎について記された回があります。
4 羊が村にやってきた(平成13年4月3日付け22面)
明治の初め、慶次郎が、「毛織物」着用の広がりを見越し、400頭の緬羊を輸入したこと。(土生田まで徒歩でやってきたこと)
5 牧畜事始め (平成13年4月10日付け24面)
慶次郎が牛乳を飲んでみせても彼をまともに見る人はなく、そっぽを向くばかりだった。また、牛肉をいかに勧めても、誰しも彼の言葉を聞く耳はもたなかったらしいこと。
6 「ご巡幸」こぼれ話 (平成13年4月17日付け24面)
ご巡幸に至るまで、3回にわたる平山家への下検分が行われ、1回目は県令三島通庸、2回目は山縣有朋、3回目には三条実美が来訪し宿泊したこと。
当館所蔵資料としては以上となりますが、下記図書館に次の資料が所蔵されています。
「平山慶次郎と遠藤慎七郎」(柴田百合子著)
村山市立図書館 ; 〒995-0034 村山市楯岡五日町14-20 TEL0237-55-2833
開館時間(火~金) 10:00~19:00 (土/日/祝) 9:00~17:00
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 個人伝記 (289 9版)
- 畜産業 (640 9版)
- 参考資料
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資料①山形県地域史研究 第31号/山形県地域史研究協議会編/2006(KS212/ヤマ/31)
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資料②村山市史 近現代編 上巻/村山市史編さん委員会編/1999(K261.1/ムラ/3-1)
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資料③袖崎の郷土誌/袖崎郷土史研究会編/1980(K261.1/ソデ)
※( )は当館の請求記号です。 -
資料④毎日新聞山形版(平成13年4月3.10.17日)
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資料①山形県地域史研究 第31号/山形県地域史研究協議会編/2006(KS212/ヤマ/31)
- キーワード
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- 平山慶次郎
- 牧牛
- 照会先
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- 村山市立図書館
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000102138