レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2019/10/30
- 登録日時
- 2019/12/15 00:30
- 更新日時
- 2024/03/30 00:40
- 管理番号
- M19103014508099
- 質問
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「ちゃんぽん」はいつ頃から日本で食べられるようになったか知りたい。
- 回答
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①『ちゃんぽんと長崎華僑』では、長崎の中華料理店「四海楼」の曾孫にあたる著者が、本書で、ちゃんぽんは、長崎の四海楼で作られたといわれており、当初「支那饂飩」として売られていたこと、また、店の明治後期の看板に「支那料理四海楼饂飩元祖」と掲げられていたことについて書かれている。「支那饂飩」から「ちゃんぽん」への名前の変遷については、日本語で「ごはんを食べる」が、福建語では「シャボン」または「セッポン」という発音となり、長崎の人の耳には「ちゃんぽん」と聞こえ、当時の華僑や中国人留学生が「シャボン」もしくは「セッポン」と言いながら、おいしそうに「支那饂飩」を食べていたため、それを見ていた長崎の人が「支那饂飩」イコール「ちゃんぽん」となったのでないかと書かれている。
②『長崎町人誌 第四巻』では、「ちゃんぽん」が中華料理の一商品として売り出されたのは1898年(明治32年)広馬場で中国料理店「四海楼」を開業した陳平順さんが作って売り出したというのが定説となっていると書かれてある。
③『長崎料理』では、「ちゃんぽん」の元祖は明治25年、19歳のとき「コウモリ傘一本を持って長崎にやってきた」という中国福建省出身の陳平順が創業した中華料理店「四海楼」だという定説があると書かれている。
④『韓国朝鮮の文化と社会 5』では、「ちゃんぽん」は長崎にある中華料理店「四海楼」が発祥とされ、「四海楼」のホームページによれば、「ちゃんぽん」という名称は、「支那饂飩」という当初の名称に変わり、1990年代初め頃から用いられてきたと書かれている。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 人口.土地.資源 (334 9版)
- 参考資料
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①陳優継『ちゃんぽんと長崎華僑』長崎 長崎新聞社,2009,222p. 参照はp.38-42.
②嘉村國男『長崎町人誌 第4巻』長崎 長崎文献社,1996,344p. 参照はp.227-234.
③脇山順子『長崎料理』長崎 長崎新聞社,2005,137p. 参照はp.42.
④『韓国朝鮮の文化と社会 5』 風響社,2006,263p. 参照はp.242-246.
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①陳優継『ちゃんぽんと長崎華僑』長崎 長崎新聞社,2009,222p. 参照はp.38-42.
- キーワード
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- ちゃんぽん
- 長崎
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- M2019103014540508099
- 調査種別
- 内容種別
- 質問者区分
- 全年齢
- 登録番号
- 1000270366