レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2020/04/15
- 登録日時
- 2020/09/16 00:30
- 更新日時
- 2020/09/16 00:30
- 提供館
- 宮城県図書館 (2110032)
- 管理番号
- MYG-REF-200017
- 質問
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解決
伊達政宗の長男秀宗が宇和島に移った経緯を知りたい。
- 回答
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下記資料に記載がありました。※【 】内は当館請求記号
資料1 仙台市史編さん委員会編『仙台市史 通史編3』仙台市, 2001【K225/セ1-13/3】
「第三章 政宗の政治」-「第二節 仙台藩と幕府」-「二 秀宗の宇和島藩」の項
p.140「(前略)秀宗は一五九一年(天正一九)一二月,政宗の側室新造の方を母として柴田郡村田(宮城県村田町)で誕生し,(中略)一五九四年(文禄三)一月には京都に上り,(中略)豊臣秀吉の子息秀頼の「御被官」(家臣)になるという名目での上洛であったが,実際は人質であった。一五九六年(慶長元)四月,兵五郎は秀吉より『秀』の一字を与えられ,秀宗と称し,従五位下侍従に叙任された。(中略)ところが,三年後の一五九九年(慶長四)一二月に大坂(大阪市)で政宗の正室愛姫の子として虎菊丸(のちの忠宗)が誕生したことから,秀宗の立場は微妙になった。とくに,関ヶ原合戦で徳川家康が勝利し,豊臣氏に代わって徳川氏が権力を掌握することが確定すると,豊臣氏と近い関係を持つ秀宗の扱いは,伊達家にとって大きな問題となった。(後略)」
p.141「一六一四年(慶長一九)一二月ニ八日,政宗に従って大坂の陣に参陣していた秀宗は,幕府より四国の伊予国宇和島に一〇万石の地を与えられた。(後略)」
資料2 仙台市博物館編『宇和島伊達家の名宝』仙台市博物館, 2015【K702/セン15X】
「概説 伊達政宗長男・秀宗からはじまる「西国の伊達」 宇和島伊達家と仙台伊達家」-「二,徳川の時代へ 宇和島藩十万石の誕生」の項
p.92「(前略)大坂冬の陣に出発する直前,政宗は家康・秀忠に対し,秀宗に侍従としての江戸勤めが可能となる知行の拝領を求めていた。(後略)」
資料3 平重道編「伊達治家記録 3」 宝文堂出版販売, 1973【K205/タ3/3】
「解説」-「二十五,巻之二十四」-「政宗の第一子秀宗,伊予宇和島十万石に封ぜられる」の項
p.10「(前略)秀宗の宇和島十万石の下賜は百万石の墨付を一方的に破約した家康の,政宗に対するせめてもの心尽くしであったように考えられる。(後略)」
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 東北地方 (212 9版)
- 参考資料
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- 仙台市史編さん委員会/編. 仙台市史 通史編3. 仙台市, 2001.9【K225/セ1-13/オ3】:
- 仙台市博物館∥編. 宇和島伊達家の名宝. 仙台市博物館, 2015.10【K702/セン2015.X】:
- 平重道/編. 伊達治家記録 3. 宝文堂出版販売, 1973.11【K205/タ3/エ3】:
- 宇和島市誌編纂委員会∥編集. 宇和島市誌 上巻. [宇和島市], 2005.1【218.3/2005.1/1】:
- 宇和島市誌編纂委員会∥編集. 宇和島市誌 下巻. 宇和島市役所, 2005.3【218.3/2005.1/2】:
- 仙台市史編さん委員会/編. 仙台市史 通史編4. 仙台市, 2003.2【K225/セ1-13/エ4】:
- 仙台市史編さん委員会/編. 仙台市史 通史編5. 仙台市, 2004.3【K225/セ1-13/5】:
- キーワード
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- 伊達, 秀宗(ダテ, ヒデムネ)
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000287150