レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2014年01月22日
- 登録日時
- 2014/01/23 13:18
- 更新日時
- 2014/01/28 15:02
- 管理番号
- 2009-0118
- 質問
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解決
最近、下記の文書(写)をいただいたのですが、5行目の人名が給四郎か何かはっきりしません。もっと重要なのが、肝心の前文が欠けているので内容がわかりません。文中にある評定所は最高裁判所のような機関ですから、青野村(現山形市)と他の村との間で大きな紛争があったことになります。その事件のいきさつを知りたいのです。
「 同 領分
同州同郡青野村
役人惣代
組頭
同 □ □ □
御評定所
右者 安藤長門守様御掛ニ而御吟味中
前書之通示談行届済口証文奉差上候処
御聞済相成候間後年ニ至違論無之ため
一同連印致し写為取替置申候 以上 」
- 回答
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このことについて、下記のとおり回答します。
1 上記の文書(写)について、下記資料①~資料④に関係記載がありました。
・資料②『山形県史 資料篇 10 馬見ケ崎川水利史』(解説 山崎吉雄) P777
・資料③『馬見ケ崎川農業水利史 下巻』(山崎吉雄著) P344
に、当該文書の記載を確認しました。
2 この文書は、嘉永・安政の水論(紛争)として、馬見ケ崎川渇水時における留水慣行をめぐって、嘉永6年(1853)6月から、今塚村、宮町、双月村、大野目村、植野村、下山家村、上山家村、青野村(いずれも現山形市)の間に紛争がおこり、安政3年(1856)6月に結着をみた時の、評定所において「聞済」となった「差上申済口証文之事」の最後の1部分です。
上記「差上申済口証文之事」は、資料②、資料③とも完全な形で掲載されています。
3 資料②および資料③の「嘉永・安政の水論」に係わる記述内容の目録・目次は次のとおりです。
(1) 資料②『山形県史 資料篇 10 馬見ケ崎川水利史』P671~778
「嘉永・安政の水論」に関する史料(当時の文書)を次のとおり収録しています。
① 今塚村宮町両村留水双月村より被妨候出入一件(嘉永6年7月~12月)P671~687
② 今塚村留水一件に付出府訴答(嘉永7年3月~安政2年6月) P687~747
③ 江戸より帰国之後今塚双月用水一件(安政2年8月~同3年6月) P748~778
(2) 資料3『馬見ケ崎川農業水利史 下巻』P318~352
「嘉永・安政の水論」について、当時の各村からの訴状、返答書、議定書などを盛り込みながら、この紛争を時系列に沿って論じています。
① 紛争の概要 P318
② 紛争の経過 P318~339
第一期 第二期
③ 紛争の終結 P339~344
④ 紛争の特質と問題 P344~352
地域行政の特質 紛争の要因とその多面性
4 その他の資料
「差上申済口証文之事」の記載はありませんが、当該紛争の概要が記載されています
・資料①『山形県史 通史編 第3巻』P293~298
「宮町堰と双月堰」という小見出しで、この紛争に触れています。
・資料④『山形県の考古と歴史』 P222~233
資料③と同じ著者による論考です。論題も同じ「嘉永・安政の水論」で、内容的にも重なります。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 世界史.文化史 (209 9版)
- 参考資料
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- 資料①山形県史 通史編 第3巻/山形県編/1987(K209.ヤマ.3)
- 資料②山形県史 資料篇 10/山形県編/1967(K209.ヤマ.10)
- 資料③馬見ケ崎川農業水利史 下巻/山崎吉雄/1965(YK611.29.ヤマ.2)
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資料④山形県の考古と歴史/柏倉亮吉教授還暦記念会編/1967(YK209.カシ)
※( )は当館の請求記号です。
- キーワード
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- 青野村
- 馬見ケ崎川農業水利史
- 嘉永・安政の水論
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000143867