レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2020年12月11日
- 登録日時
- 2021/02/06 14:14
- 更新日時
- 2021/02/12 13:41
- 管理番号
- 地-200016
- 質問
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解決
以下の3点について知りたい。
①大和市上和田1168番地の「左馬神社」の社名が創建時(1764年)の「鯖大明神」→「左馬大明神」(1817年)→「和田左馬大明神」(慶応2年)→「左馬神社」(明治42年)と、僅か146年で3度も変更となった理由。
②1764年創建時に「鯖大明神」と魚のサバの冠したのはなぜか。
③当社境内には「鐘楼」が有るが、近隣に別当寺が無い。何故、神社に鐘楼が有るのか。
- 回答
-
①、②について
大和市上和田の左馬神社について、社号変遷の理由、創建時の「鯖大明神」の社号の理由について記載された資料は、当館所蔵資料からは見つけることが出来なかったが、神奈川県の境川中流域に集中してみられる「サバ神社」については、論考された資料が種々存在している。
参考として、この流域に複数存在するサバ神社の「左馬」や「鯖」の名称について論考した書籍の一部を紹介した。
・『大和市史 2 通史編』 大和市 1983
「第二編 村の地誌」の中の「第二章 村の神社」の中に「第六節 上・下和田村の神社」(p.635~644)が立項されており、その中のp.636~640に「上和田村左馬神社」の項において、p.638~640に社号に関する記載がある。
・『源義朝を祀る サバ神社その謎に迫る』 江本好一著 武田出版 2000
p.224~226に「付表3 サバ神社に関する主な論考」が所収され、下記4冊の書籍と4点の論文が紹介されている。
・『郷土史昔の瀬谷』古川甫 1960
・『神奈川県の歴史 県下の民俗篇 上』神奈川県立図書館 1962
・『路傍の神様 改訂版』川口謙二 東京美術 1975
・「私説・サバ神社」小寺篤 『市民グラフヨコハマ 37号 境川風土記』 p.20-23 横浜市市民局市民活動部広報課編 横浜市市民局市民活動部広報課広報センター1981
・「サバ神社について」鈴木通大 『民俗108,109合併号』 p.13-14相模民俗学会 1982(当館では、『民俗 第72~120号』 相模民俗学会 1969に所収)
・「サバ神社再考」長沢利明 『民俗142号』 p.1-4相模民俗学会 1992 (当館では、『民俗 第129~150号』 相模民俗学会 1988 に所収)
・「サバ神社の謎」島崎朝彦 『水辺からのレポート2』 p.46-50川と水文化研究会 1993
・『鶴見川・境川流域文化考』小寺篤 230クラブ新聞社 1994
③について
・『大和市史 2 通史編』 大和市 1983
「第二編 村の地誌」の中の「第二章 村の神社」の中に「第六節 上・下和田村の神社」(p.635~644)が立項されている。その中のp.636~641に「上和田村左馬神社」の項があり、p.638に「市域の場合は、上・下和田村と福田村のほとんどの神社に梵鐘があり、それは神仏混淆の名残りと思えるが、明治初年の神仏分離以後にも各社に梵鐘が残存している。このことは梵鐘が信仰上のことだけではなく、時を告げる鐘としての性格をかなり強くもっていたことを物語っている。」と記載されている。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
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現地の「左馬神社」の縁起書きを確認した。
神奈川県神社庁HPの「左馬神社」の説明および、ウェブサイト「はまれぽ」2015年3月24日付け、サバ神社が多い理由の項目を確認した。
- NDC
-
- 神社.神職 (175 10版)
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000293571