レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 1999/10/14
- 登録日時
- 2007/01/17 02:10
- 更新日時
- 2008/08/07 15:32
- 管理番号
- 埼熊-1999-056
- 質問
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解決
東京都赤坂区桧町に昭和10年頃、〈桑田記念館〉があったはずだが、現存しているか。桑田立斎(クワタリュウサイ 1811-1868)、桑田衡平(クワタ コウヘイ:立斎の養子 明治38.10.24没)の伝記・資料があるのではないか。
- 回答
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〈桑田記念館〉という名称の施設は見あたらないが、東京都港区赤坂9丁目3番21号(旧桧町)に、〈桑田記念児童遊園〉が現存する。また、大阪大学附属図書館に〈桑田文庫〉が、東京都江東区には〈桑田立斎宅跡〉がある。以上を回答する。
- 回答プロセス
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情報源の出典資料は当館未所蔵。
『人物記念館事典』『類縁機関名簿』『専門情報機関総覧』『ライブラリーデータ』『日本博物館総覧』では確認できず。
『或る蘭方医の生涯』のあとがきに、「立斎、衡平関係資料は〈桑田文庫〉として大阪国立医科大学にある」との記述あり。大学名に疑問の余地があるため、電話等で確認すると、大阪大学附属図書館に適塾関係資料として〈桑田文庫〉あり。
『ハローページ 港区 企業編』に〈桑田記念館〉記載なし。桧町は現防衛庁周辺、赤坂7~9丁目にあたる。
『東京都港区近代沿革図集 [1]』の昭和41年の地。
『ゼンリン住宅地図 1994 港区(北部)』で該当の番地を確認する。
『東京の公園通誌 下』(末松四郎 郷学舎 1981)に該当地の桑田記念児童遊園の記載あり。
追記:桑田立斎の著作には『日本衛生文庫 1』(三宅秀 日本図書センター 1979)所収の「愛育茶談」があり。また、関連資料には「桑田立斎先生」(二宮 陸雄 桑田立斎先生顕彰会 1998)があるが県立未所蔵(2008/08/07確認)。
《Google》で〈桑田立斎〉を検索すると、
江東区のホームページの施設案内ページから「桑田立斎宅跡」の案内が見られる。
(http://www.city.koto.lg.jp/sisetsu/6835.html 2008/08/07最終確認)
北海道大学付属図書館のページに、北方資料室の「桑田立斎関係資料」の紹介があり。
(http://ambitious.lib.hokudai.ac.jp/hoppodb/kyuki/doc/0A018770000000.html 2008/08/07最終確認)
- 事前調査事項
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情報源:「日本洋学人名事典」中の文献「桑田立斎及衡平に就いて」を国会図書館で閲覧し、その中に〈桑田記念館〉の記述があった。桑田立斎は新発田藩出身の蘭方医。安政4年に蝦夷地でアイヌに集団種痘を行った。
- NDC
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- 文化交流機関 (063 9版)
- 個人伝記 (289 9版)
- 参考資料
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- 『東京都港区近代沿革図集 [1]』(東京都港区立三田図書館 1970)
- 『ゼンリン住宅地図 1994 港区(北部)』
- 『東京の公園通誌 下』(末松四郎 郷学舎 1981)
- キーワード
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- 桑田 立斎(クワタ リュウサイ)
- 文化交流施設
- 照会先
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- 大阪大学附属図書館
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000032877