レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2015年08月07日
- 登録日時
- 2015/11/03 14:38
- 更新日時
- 2016/11/16 17:45
- 管理番号
- 2015-029
- 質問
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未解決
荻野吟子(女医)の夫で、明治25年にキリスト教の理想郷を建設するためにインマヌエル村(北海道今金町神丘)に入植した志方之善について調べている。
1.彼が新島襄に宛てた手紙があるが、これを活字化したものはないか。
2.添付した写真はせたな町瀬棚郷土館に収蔵されているが、何年の記念写真なのか調べることは可能か。また、同級生の鈴木太一郎はこの写真の中に写っているか。
3.手元の様々な資料では志方は北海道開拓時に同志社を退学しており、明治36年(1903)に再入学したとあるものと、休学していただけで、明治36年は復学したものであるという資料に分かれている。いずれが本当なのかを教えて欲しい。
- 回答
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1についてですが、本学HP「新島遺品庫資料の公開」にてデジタル画像が公開されています。
資料名:志方之善
年月日:明治22年(1889)11月9日
目録番号:1451
『新島襄全集』9〈下〉1131~1132ページに、こちらの手紙を翻刻されたものが掲載されています。
2・3について、本学社史資料センターにも問い合わせましたが、当時の学籍簿に記録がないため、退学→再入学か、休学→復学かどうか、断定はできないとのことです。
また、添付いただいた写真について、いつ頃撮影されたか、鈴木太一郎がどこに写っているかについても、後年の資料整理の過程で追記されたものですので、いずれも断定はできないとのことです。
詳細につきましては、回答プロセスをご確認ください。
- 回答プロセス
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1.志方之善の手紙について
本学HP「新島遺品庫資料の公開」にてデジタル画像が公開されていないか、本学所蔵資料に掲載されていないか調査。
・「新島遺品庫資料の公開」→「志方之善」で検索すると1件Hit。
http://joseph.doshisha.ac.jp/ihinko/html/n01/n01010/N0101001G.html [参照 2015-8-6]
資料のデジタル画像も公開されている。
資料名:志方之善
年月日:明治22年(1889)11月9日
目録番号:1451
・『新島襄全集』(同朋舎出版、1983.2-1996.11)〈BN01678491〉を確認すると、9〈下〉p.1131~1132に翻刻(活字化)されたものが掲載。
2.添付の写真について
本学社史資料センターに問い合わせたところ、写真の原板が残っているとの回答。
・原板には記録がないが、「神学校卒業写真」「明治三十七年撮影」と追記あり。
(ただ、資料整理の過程で追記されたものなので、断定はできないとのこと)
・写真のコピーには誰が写っているかも記載があり、2列目の右から3番目が鈴木太一郎と思われる。
(こちらも後年追記されたものなので、断定はできないとのこと)
・どこで撮影されたかも不明。
3.志方之善の在籍について
本学所蔵資料に掲載がないか、調査。
(1)『基督教世界』1157号(基督教世界社、明治38年11月2日)11面第2~3段に「志方之善君略歴」が下記のように掲載あり。〈AN00068930〉
”志方之善君は元治元年七月三日熊本県山鹿郡に生る……京都同志社普通校に入る……二十年九月神学校に転じ二十三年一月新島襄の歿するの不幸に遇ひ感ずる所あり同志社を出て武州秩父に夏期伝道をなし……是より先き君が同志社に在るや丸山傳太郎笹倉代七郎柚田彌三郎諸氏と団結し北海の新天地に於て基督教村を建設せんことを企図し……三十六年九月修養のため再び同志社に遊び留ること一年、出て浦川教會牧養の任に当り”
※上記の通り、同志社を「出る」「遊び留る」という表現はあるが、「退学」「休学」「卒業」といった言葉はみられない。
※今泉眞幸編『天上之友』第一編(日本組合基督教會教師會、1915年)p.108~109にも同文が掲載されている。
(2)『基督教世界』1156号(明治38年10月19日)2面第3~4段に鈴木太一郎「志方之善君を憶ふ」が下記のように掲載あり。
”…余が志方君と相識ったのは一昨年君が再び同志社へ入られて余等と共に神學の研究に身を委ねられた時からであつて”
(3)『校友会報』(同志社校友會本部)に収録の名簿にも掲載はないが、
『校友会報』14号(明治37年6月)の「校友及び同窓の消息」p.79に下記のように記載あり。
こちらでも「退学」「復学」などといった言葉はみられない。
”志方之善君、北海道インマヌエル村に開墾の鍬を執らるヽこと十余年、一と働く了せし後ち昨年以來再び同志社に歸り來り一年間休養と講學とをなしれられたる仝氏は此度び十勝国浦河教會の主任者として赴任せらるべしと。”
(4)奈良原春作『荻野吟子 : 実録・日本の女医第一号』(国書刊行会、1984年)〈BN01678491〉
以下の章に在籍に関する記載あり。
・「志方之善との出合い」(p.125~127)
「志方は、新島の没後同志社を辞して上京、…」、
・「志方、同志社へ再入学」(p.183~184)
”明治三十六年(一九〇三)を迎えていた。…こうした様子を目ざとく察知したローランドは、中途で廃した学業を完成させてはどうかとすすめ、再入学にあたっての労をとったのである。かくしてその年の九月から、京都相国寺畔の寄宿舎に起臥することになった。時に之善四十歳。”
・「志方之善の死」(p.187~188)
”…初志に立ち返り、同志社に再入学して一年、念願を果たして卒業した。”
※退学→明治36年9月再入学説をとっているが、文中に典拠等の記載はなし。
(5)本学社史資料センターに、在籍について問い合わせ
明治36年再入学、復学、明治37年卒業の記録、明治23年の退学、休学の記録いずれも当時の学籍簿に記録がないため、休学して復学したのか、一度退学して再入学したのかは判断できないとの回答。
- 事前調査事項
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・志方は卒業後、北海道浦河教会の牧師として赴任し、翌年せたな町でなくなっている。
・『基督教世界』1156号(明治38年10月19日)2面第3~4段に、同級生である鈴木太一郎の「志方之善君を憶ふ」が掲載されている。
- NDC
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- 日本史 (210 9版)
- 個人伝記 (289 9版)
- 参考資料
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「新島遺品庫資料の公開」
http://joseph.doshisha.ac.jp/ihinko/html/n01/n01010/N0101001G.html [参照 2015-8-6] -
新島襄全集編集委員会 編 , 新島, 襄, 1843-1890. 新島襄全集 9 (来簡編). 同朋舎出版, 1994.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002365284-00 , ISBN 4810412008 (NCID:BN01678491) -
基督教世界社. 基督教世界. 基督教世界社, 1903.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000000056401-00 (NCID:AN00068930) -
同志社大学人文科学研究所. キリスト教新聞記事総覧 第3巻(Ⅱの2) (基督教世界). 日本図書センター, 1996.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002509444-00 , ISBN 4820562649 (NCID:BN1398575X) -
今泉 真幸/編輯 , 今泉‖真幸. 天上之友. 日本組合基督教会教師会, 1915.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I068065892-00 (NCID:BA38543705) -
同志社校友會 [編]. 校友會報. 同志社校友會本部, 1897.2-.
https://doors.doshisha.ac.jp/opac/opac_details/?reqCode=fromlist&lang=0&amode=12&bibid=SB10008504&opkey=B144661906727454&start=1&totalnum=9&listnum=0&place=&list_disp=20&list_sort=0&cmode=0&chk_st=0&check=000000000 (本学書誌ID:SB10008504) -
奈良原春作 著 , 奈良原, 春作, 1915-. 荻野吟子 : 実録・日本の女医第一号. 国書刊行会, 1984.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001667311-00 (NCID:BN01678491)
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「新島遺品庫資料の公開」
- キーワード
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- 志方之善
- 同志社
- 荻野吟子
- 新島襄
- 照会先
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- 同志社社史資料センター
http://archives.doshisha.ac.jp/
- 同志社社史資料センター
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 他大学教員
- 登録番号
- 1000183236
- 関連ファイル