レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2007/04/13
- 登録日時
- 2007/08/02 02:10
- 更新日時
- 2007/08/17 13:27
- 管理番号
- 埼浦-2007-012
- 質問
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未解決
15~16世紀に「大名や領主が所領を寄進して建てたのではない寺を」の事例を知りたい。事前調査資料によると、これらを「林下」(りんか)と称するらしい。
- 回答
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明確な記述のあるものは得られなかったが、以下の所蔵資料を確認し紹介する。
『日本禅宗史論集 一之下』(玉村竹二 思文閣出版 1979)p1001「林下の形成」の項あり。p1003に五山とは隔絶した寺院が挙げられている。
『中世寺院と民衆』(井原今朝男 臨川書店 2006)p59「たった一人の中世寺院」の項あり。p62武蔵国衛周辺の勧進僧から竜淵寺(龍淵寺)があげられている。
『日本禅宗史研究』(竹貫元勝 雄山閣 1993)p43-298「に第一編 林下教団の成立と展開」あり。
代表的なものとして、大徳寺と妙覚寺あり。いずれも外護がある時期と無い時期がある記述。
『京都の歴史 3 町衆の躍動』(仏教大学 京都新聞社 1994)p45-67に加藤正俊「五山と林下」(講演記録のようなもの)あり。p61以降に林下の記述あり。
『日本仏教宗史論集 7 栄西禅師と臨済宗』(吉川弘文館 1985)p270-316「林下における教団経営について」で大徳寺についての解説あり。
『中世の発見』(永原慶二 吉川弘文館 1993)p304-338広瀬良弘「林下禅林・朝廷・大名」あり。曹洞宗の永平寺を中心に記述あり。
以上まで調査したところで利用者の申し出により打ち切る。
- 回答プロセス
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回答の他、以下の参考文献を確認するが、関連する記述は無し。
『日本宗教制度史の研究』(豊田武 厚生閣 1938)
『中世における社寺と社会との関係』(平泉澄 国書刊行会 1982)p127に「民間に頼る勢力ある寺院があった」との記述あり。
『日本禅宗史論集 一之上』(玉村竹二 思文閣出版 1979)p917-「臨済宗」の中に、p934「林下の盛行」の項あり。地方に隠遁した第一波、終始官寺に住しなかった第二波、中央の五山から閉め出された第三波が挙げられている。いくつか僧の名前が挙げられている。p989-「禅宗の発展」の中に、p1005「林下の興隆」の項あり。第一派が教団否定、第二波は地方豪族の外護が多かったとあり、第三波は五山からの脱退者。p1006に第一類として禅宗の俗化をを嫌った人々、第二類に教団肯定的であった人々との説明があり。この第二類を「林下」と呼び、いくつかの寺名が挙げられている。
- 事前調査事項
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『禅宗地方展開史の研究』(広瀬良弘 吉川弘文館 1988)p2-3に林下に関する文献があり。
- NDC
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- 各宗 (188 9版)
- 寺院.僧職 (185 9版)
- 日本史 (210 9版)
- 参考資料
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- 『日本禅宗史論集 一之下』(玉村竹二 思文閣出版 1979)
- 『中世寺院と民衆』(井原今朝男 臨川書店 2006)
- 『埼玉叢書 6』(国書刊行会 1972)
- 『武州龍淵寺史料』(長谷川宏 1976)
- 『竜淵寺』(さきたま出版会 1992)
- 『日本禅宗史研究』(竹貫元勝 雄山閣 1993)
- 『京都の歴史 3 町衆の躍動』(仏教大学 京都新聞社 1994)
- 『日本仏教宗史論集 7 栄西禅師と臨済宗』(吉川弘文館 1985)
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『中世の発見』(永原慶二 吉川弘文館 1993)
- キーワード
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- 禅宗-寺院-歴史
- 五山
- 室町時代
- 戦国時代
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000036335