レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2012年04月20日
- 登録日時
- 2012/07/08 10:58
- 更新日時
- 2012/08/12 09:57
- 管理番号
- 20120420-1
- 質問
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未解決
鈴木大拙の兄元太郎は、生家が金沢市であるのに、何故珠洲市蛸島小学校の校長となったのか?自分から希望したのか、上からの命令なのか?
- 回答
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希望の有無・命令かどうかは不明。
- 回答プロセス
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どの時期に学校の先生になったかは、以下の文献により判明。
①「元太郎は石川師範を1876年に卒業し、石川郡内の小学校に奉職。1888年頃は、能登半島の飯田小学校校長になっている。」(「北國文華」2006秋 29号、186-187p)
②「長兄元太郎は父君の存命中に、二十歳前で十五、六歳の妻をめとっていた。はじめ父祖代々の家業を嗣ぐために、医者の学校か塾かに通っていたが、医者がいやであったのか、それとも外に家庭の事情があったのか、父君の死後に師範学校に転じて、小学校の教師になった。」(『鈴木大拙未公開書簡』(K188/50)、34-35p)
③「兄貴が先生をしておつたのでそこへわたしが行くことになり、わたしが先生になって通うた。」(『鈴木大拙未公開書簡』(K188/50)、34-35p)
ただ、「北國文華」では「飯田小学校校長に」とあるが、『鈴木大拙未公開書簡』では蛸島小学校校長とある。
- 事前調査事項
- NDC
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- 個人伝記 (289 9版)
- 参考資料
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- 「北國文華」2006秋 29号、北国新聞社
- 『鈴木大拙未公開書簡』鈴木大拙原著・井上禅定編集、禅文化研究所、1989年(K188/50)
- キーワード
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- 鈴木大拙
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000108323