レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2010年08月21日
- 登録日時
- 2010/12/10 18:33
- 更新日時
- 2011/08/05 12:40
- 管理番号
- 20100821/168
- 質問
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未解決
大聖寺藩士で、初めて琵琶湖に汽船を浮かべた石川嶂は大正3年に死去しているが、何年何月にどこで亡くなったか知りたい。
- 回答
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不明。
- 回答プロセス
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まず「石川県関係人物文献検索」にある資料に当たったが、『三百藩家臣人名事典』第3巻は「没年不詳」(p258)、牧野隆信「新時代を開いた石川嶂」(「加賀の文化」第6号 p54~59)は没年を「大正三年」としていた。ちなみに、「北国新聞データベース」で「石川嶂」をキーワードに検索したところ、2003年6月16日19面の記事(加賀市歴史民俗史料館で開催された「ふるさとの人物列伝」)では「1913」没となっていた。
『大正過去帳』(東京美術 1973)の目次をざっと見たが、「石川嶂」はなかった。
牧野隆信「新時代を開いた石川嶂」p59には「戸籍はさらに明治35年3月3日神戸市下山手通7丁目12番地(現中央区下山手通)に転籍している。筆頭人は祐太郎[長男]であるが嶂も同行したものと考えられる。/この後の詳細は全く分らないが、『郡誌編纂材料』は「祐太郎ヲ助ケテ九州三池ニ移リ三井組石炭ノ販売ヲ一手ニ握ッタ」」とある。質問者は「九州のどこかで亡くなったのではないか」と推測しているが、ここで調査を終えた。
- 事前調査事項
- NDC
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- 個人伝記 (289 9版)
- 参考資料
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- 「石川県関係人物文献検索」http://www4.library.pref.ishikawa.lg.jp/(確認日:2010-8-21)
- キーワード
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- 石川嶂
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000075017