レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2011年11月09日
- 登録日時
- 2012/02/11 10:37
- 更新日時
- 2012/02/11 10:37
- 管理番号
- 福井県図-20111109-2
- 質問
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未解決
渡辺越中守・重が戦死した合戦名とその年代はいつの事か。
この人物に関する 詳しい史料・文献がないか。
- 回答
-
不明
- 回答プロセス
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1.福井県関係調査相談DBで「渡辺」で人名検索
→該当なし
2.『福井県史 通史編2』p343-352
→斯波氏重臣には「渡辺」姓なし
3.斯波氏に関する資料を検索、ブラウジングするが該当資料なし
・「南北朝期における守護権力構造 斯波氏の被官構成 1~3」河村昭一/著(『若越郷土研究』23の1,3,4所収) 渡辺氏に関する記述なし
・「斯波氏三代考」小泉義博/著(『一乗谷史学 第6号』1974) 内容:義敏、義廉、義良
・「室町期の斯波氏について」小泉義博/著(『北陸史学 第42号』1993) 内容:義重、義淳、義郷、義健、持有
・「斯波氏関係年表」一乗谷研究会(『一乗谷史学 別冊2号』1974) 『大日本史料』『史料綜覧』等から斯波氏関係記事を抜書きしたもの
・『福井市史 通史編1』p529-544斯波氏の領国支配
- 事前調査事項
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嵯峨源氏「渡辺四郎次郎 近」・同「渡辺越中守 重」兄弟が共に斯波義将(室町幕府管領家 筆頭)に従い、その旗下として備後国(現:広島県福山市)から越前福井へ従軍し、軍忠の褒美として福井庄に領地を宛がわれ、弟「越中守 重」は其の後戦死したと備後郷土史料にある。加えて「越中守重」の嫡男「信濃守高」が越前福井で産まれ、「越中守重」の戦死後、幼少の意「高」を叔父に当たる「四郎次郎 近」が養育するも、叔父に異心有りとして「四郎次郎 近」を「高」が17歳の時に殺害し、後「備後国長和庄」に移ったと備後郷土史料にある。
- NDC
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- 個人伝記 (289 8版)
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000101336