レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2009年6月4日
- 登録日時
- 2009/07/16 16:18
- 更新日時
- 2014/08/28 10:59
- 提供館
- 岐阜県図書館 (2110001)
- 管理番号
- 岐県図-1085
- 質問
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未解決
明治20年代に岐阜県出身の安藤喜一郎という人物が沖縄県に教師として赴任しているが、この人物について何か情報はないか。
- 回答
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質問の安藤喜一郎は、明治31年から35年にかけての沖縄県師範学校長。
岐阜県関係の所蔵資料からは直接の資料は見つからなかったが、親・兄弟についての情報が若干見つかった。
安藤喜一郎は、岐阜県大垣市出身の教育者・漢学者、安藤老山の長男。老山の遺稿集 『老山詩鈔』より大正元年当時には東京に在住していたこと、又三郎、純吾の2人の弟がいたことが分かる。
なお、安藤又三郎は満鉄理事、自動車投資株式会社監査を経た後、昭和20年12月から翌21年12月まで大垣市長(第4代)、安藤純吾は郵船会社に勤め香港支店長となったとある(『郷土大垣の輝く先人』(大垣市文教協会,2004))。
- 回答プロセス
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1 当初、郷土資料からは資料を見つけられず。『沖縄県史』などに、明治31年~35年の沖縄県師範学校長として安藤喜一郎の名前があり、沖縄県のあと長崎県師範学校長に移ったことも分かるが、岐阜県との関係は確認できない。質問者に出典などを確認するとともに、沖縄県立図書館に照会。
2 沖縄県立図書館より回答。沖縄県師範学校の学友会誌や教育雑誌『琉球教育』に論文や漢詩などが掲載されている。
3 上記文献の中に、「老山 安藤翁」名義の著作がいくつかあったため、「安藤老山」について、岐阜県関係資料を調査。岐阜県大垣市出身の教育者・漢学者、安藤老山(本名:一郎、天保14~明治44)が該当。この人物の遺稿集『老山詩鈔』の発行者として、老山の長男・安藤喜一郎の名があった。同書の本文に喜一郎が明治36年に長崎県師範学校長だったことが記されており、これは『沖縄県史 4・教育』の記述と一致するため、安藤老山の長男・喜一郎と沖縄県師範学校長・安藤喜一郎は同一人物と考えられる。
『老山詩鈔』によると、安藤喜一郎は明治21年に東京高等師範学校を卒業。また、同書の奥付には「編集兼発行人 東京府豊多摩郡渋谷町~ 安藤喜一郎」とありますので、本が刊行された大正元年当時には東京に在住していたことが分かる。また、又三郎、純吾の2人の弟がいることも同書より判明。
4 ほか、安藤喜一郎が東京高師を卒業した明治21年から沖縄に赴任する29年までの『岐阜県教育会雑誌』所蔵分(24年9月、26年6月)、県職員録(28、29年)および明治22年の『岐阜県学事年報』を確認したが、履歴や論文などは見つからなかった。
- 事前調査事項
- NDC
-
- 個人伝記 (289 9版)
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
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- 沖縄県立図書館
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000056465