レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2020年08月19日
- 登録日時
- 2021/01/26 12:03
- 更新日時
- 2021/01/26 12:05
- 管理番号
- 0000001847
- 質問
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未解決
福井県出身の溝江八男太という人物の没年を調べています。デジタルアーカイブ福井では没年月日が未詳となっています。地元の新聞などに訃報などがありませんでしょうか。
- 回答
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溝江八男太の没年は確認できませんでした。
- 回答プロセス
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『広辞苑はなぜ生まれたか』(新村恭∥著 世界思想社 2017年)p175
・・・昭和37年8月の出の日記に”秀一と溝江翁への謝礼等について談”とあるため、昭和37年には存命だったと推測できます。
福井県デジタルアーカイブより”正六位勲六等”とあるため、叙勲関連の資料を調べるも、没年は確認できませんでした。
福井県デジタルアーカイブの情報源である資料『福井県人之精華(若越県友社 1929年)には、生まれが”福井市春山下町20”とあるため、春山小学校の学校史や地域史も調査しましたが、記載はありませんでした。
新聞については、残念ながら地方新聞は2011年2月以前はデータベース化されていないので調査することができません。
当館所蔵の読売新聞のDVD(昭和37年から昭和45年まで)で検索しましたが、訃報記事はでてきませんでした。
なお、2020年5月25日付「福井新聞」1面コラム「越山若水」で溝江八男太が取り上げられていますが、没年記載はありません。
- 事前調査事項
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溝江 八男太 | デジタルアーカイブ福井 https://www.library-archives.pref.fukui.lg.jp/archive/da/detail?data_id=080-1905199
新村恭『広辞苑はなぜ生まれたか』によると、1956年の『新国語辞典』(東京書院)の編集に参画していたとのことで、刊行時点で健在だったか不明ですが、少なくともこの頃までは存命だったようです。
- NDC
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- 個人伝記 (289 8版)
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000292946