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レファレンス事例詳細(Detail of reference example)

提供館
(Library)
埼玉県立久喜図書館 (2110009)管理番号
(Control number)
埼熊-2008-147
事例作成日
(Creation date)
2009/02/12登録日時
(Registration date)
2009年05月09日 02時11分更新日時
(Last update)
2009年05月12日 15時32分
質問
(Question)
「館林のツツジ」以外の、ツツジにまつわる武将のエピソードを知りたい。主に中世から江戸時代にかけての話がよい。
回答
(Answer)
「館林のつつじ」以外のエピソードは見つからなかった。「新宿区大久保の百人町の武士と躑躅」に関する記述と、武将ではないが「坂本龍馬と霧島の躑躅」についての記述を紹介した。
回答プロセス
(Answering process)
自館資料から、ツツジに関する資料や、群馬県館林市とツツジに関する資料、坂本竜馬に関する資料を調査した。また、《Google》や《NDL-OPAC(雑索)》を〈ツツジ & 武将〉で検索した。さらに、家紋関係の資料を調査した。
『館林双書 5』
p173-174「躑躅岡公園の碑」に、榊原康政の妾、館林城主松平忠次の妻、新田義貞の妾とツツジに関して記述あり。
『館林双書 3』
p37「つつじの里大久保をたずねて」に、西大久保町や百人町に住んでいた幕府の下級武士たちが、勤めのかたわらに内職として躑躅を栽培していたことについてあり。
『週刊四季花めぐり 2003.4.10』
p26「つつじが岡公園」に、公園名のいわれとして、「17世紀初めに、時の館林城主榊原康政が、自殺した側室の霊を慰めるために、彼女の名にちなんで躑躅を植えた」とあり。また、園内南東部にある山躑躅の巨樹について、「新田義貞が愛妻勾当内待のために植えた躑躅で、あまりの美しさに、城主忠次の奥方が魅了されたことから移植されたと伝えられる」とあり。
p39「竜馬と霧島躑躅」の項に、坂本竜馬が新婚旅行で登った霧島山の満開のつつじに感激して書いたといわれる手紙とスケッチの図版あり。『坂本龍馬を歩く』p76「霧島」にも同様の図版あり。
丹羽基二「躑躅、大豆、小豆の苗字」(『歴史と旅 2000年5月』)に、武田氏が躑躅を名乗ったことについてあり。
数野雅彦「甦る躑躅ヶ崎館」(『歴史読本 2000年5月』)に、居城躑躅ケ崎城についてあり。
『日本家紋総鑑』
p686-687に、「躑躅の丸」(富士谷氏)と「枝躑躅」(東氏)の2点のツツジの紋と、「躑躅は文様や紋章にはほとんど見られないのが不思議である。歴史上にも文献として載っていない」という解説あり。

Webサイトの情報の、「つつじの巨株は古くは戦国武将武田信玄公に付き、群馬県礒部町を支配してきた礒部家が礒部城落城の際に持ち込んだもの」や「陣場山 長野市豊野町川谷日影に、上杉謙信が日影川谷の裏山のてっぺんに陣場を構えた際のエピソードの中に、躑躅を見て詠んだといわれる歌などをあわせて紹介した。
事前調査事項
(Preliminary research)
NDC
個人伝記  (289 9版)
参考資料
(Reference materials)
『館林双書 5』(館林市立図書館 1975)
『館林双書 3』(館林市立図書館 1973)
『週刊四季花めぐり 2003.4.10』(小学館)
『坂本龍馬を歩く』(一坂太郎 山と渓谷社 2003)
『歴史と旅 2000.5』
『歴史読本 2000.5)
『日本家紋総鑑』(千鹿野茂 角川書店 1993)
キーワード
(Keywords)
花-ツツジ-つつじ
逸話
武士-中世-江戸時代
館林市-群馬県
照会先
(Institution or person inquired for advice)
寄与者
(Contributor)
備考
(Notes)
調査種別
(Type of search)
文献紹介
内容種別
(Type of subject)
人物
質問者区分
(Category of questioner)
個人
登録番号
(Registration number)
1000054582解決/未解決
(Resolved / Unresolved)
未解決
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