レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2017年05月06日
- 登録日時
- 2018/05/15 09:28
- 更新日時
- 2018/07/20 09:51
- 管理番号
- 埼熊-2018-002
- 質問
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未解決
ブッダの時代のインドの結婚適齢期を知りたい。
- 回答
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ブッダの時代の結婚適齢期を調査したが、明確には分からなかった。
ブッダの結婚年齢については、以下の資料を紹介した。
『南伝ブッダ年代記』(アシン・クサラダンマ著 東方出版 2017)
p43「シッダッタ王子とヤソーダラ妃の結婚生活は、ふたりが一六歳の年に始まった」とあり。
またブッダの時代よりあとになるが、以下の資料に関連する記述があったので紹介した。
『マヌ法典』(渡瀬信之訳注 平凡社 2013)
p183「〔男は〕三十歳になったときに好ましい十二歳の娘を、あるいは二十四歳のときに八歳の娘を娶るべし。〔結婚を遅らせることによって、創造主によって定められた〕生き方(ダルマ)が衰退するときは直ちに〔娶るべし〕。」とあり。
『アレクサンドロス大王東征記 付インド誌 下』(アッリアノス著 大牟田章訳 岩波書店 2001)
「女性は七歳にして結婚の適齢期に達し、男のほうもたかだか四十歳が生きる限界だという。」とあり。
『インド史の諸相』(二木敏篤著 大明堂 2001)
p183「アッリアノスによると「ヘラクレスの娘が統治していたその土地では、女性は七歳にして結婚の適齢期に達し、男のほうもたかだか四十歳が生きる限界だという。(中略)これはインド最古の『マヌ法典』の「三十歳の男子は好ましき十二歳の少女と結婚すべし。二十四歳の男子は八歳の少女と結婚すべし」に通じるものがある。(中略)そうみれば、男三十はいずれにしても初老の域であり、二十歳ともなれば若者も青春を過ぎ青春の真っ盛りといえば、これは十五歳前後ということになるわけで、同じように考えれば女性も七歳にして、すでに結婚できる年齢に達するというのが、理屈にかなうことになるだろう。」とあり。
- 回答プロセス
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1 《Google》(http://www.google.co.jp/ Google)を〈釈迦〉で検索する。
《wikipedia》「釈迦」(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%88%E8%BF%A6 ウィキメディア財団)
「主な推定生没年は、
紀元前624年 - 紀元前544年 : 南伝仏教による説
紀元前566年 - 紀元前486年 : 北伝仏教の『衆聖点記』による説
紀元前466年 - 紀元前386年 : 宇井説
紀元前463年 - 紀元前383年 : 中村説」
2 NDC分類〈182.8〉〈225〉の棚にあたる。
『南伝ブッダ年代記』(回答資料)
『インド史の諸相』(回答資料)
3 『インド史の諸相』の参考文献より、下記の2冊を確認する。
『アレクサンドロス大王東征記 付インド誌 下』(回答資料)
『マヌ法典』(回答資料)
ウェブサイト・データベースの最終アクセス日は2017年5月6日。
- 事前調査事項
- NDC
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- 仏教史 (182 9版)
- 通過儀礼.冠婚葬祭 (385)
- 参考資料
- キーワード
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- 釈迦
- 婚姻-インド-歴史
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000235630