レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2010年7月21日
- 登録日時
- 2010/11/30 16:39
- 更新日時
- 2018/08/31 17:48
- 管理番号
- 県立K2010-121
- 質問
-
未解決
土佐山内家の6代当主山内豊隆について、実兄豊房から山内家の家督を相続する前は幕府旗本鳥居家の養子となっていたというが、養父は誰か。
- 回答
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※ 高知県立図書館・高知市民図書館合築に伴い、資料に関する情報が現在の情報とは異なる場合があります。 ※
お問い合わせの件ですが、山内豊隆の養父名を明記している資料は見つかりませんでした。
『南路志』7巻に「鳥居家之事」という項があり、それによると豊隆の母の兄・鳥居左京亮忠則が寛文3(1663)年に父の遺領相続、元禄2(1689)年卒去、同年遺領3万2000石被召上、嫡男播磨守忠親に1万石被下とあります。豊隆が延宝元(1673)年出生、宝永3(1706)年に第6藩主になっているので、時代から考えると鳥居左京亮忠則もしくはその嫡男播磨守忠親と思われますが、明記されたものはありません。
『皆山集』3巻の歴代藩主の豊隆の項、『豊隆公紀』にも養父の記載はありませんでした。『豊昌公紀』に豊隆誕生の記事はありましたが、養父についての記載はありませんでした。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
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『寛政重修諸家譜』の鳥居家の項を一通り参照したが、養父の記載はなかった。
『土佐國群書類從 巻3 系譜部』の「解説 土佐藩の家老家について」で母の実家旗本の鳥居家を継いでいたとある。
『高知県歴史辞典』の山内氏略系図にも鳥居氏の養子となった旨の記載がある。
- NDC
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- 日本史 (21)
- 伝記 (28)
- 参考資料
- キーワード
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- 山内豊隆
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000074598