レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2015年06月10日
- 登録日時
- 2016/03/18 08:11
- 更新日時
- 2016/05/11 16:20
- 管理番号
- 埼熊-2015-183
- 質問
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未解決
群馬県太田市満徳寺にある千姫が使用していたといわれている小物について、作者・由来等を知りたい。
愛染明王の像が彫られていて、切金細工が装飾されている。
- 回答
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愛染明王の小物について、満徳寺にある間の由来が記載されている資料は見つかったが、満徳寺に来る前の由来や作者について記述のある資料は見つからなかった。
満徳寺での由来の記載がある資料
『徳川満徳寺史』(尾島町誌編集委員会編 尾島町 1984)
p152「満徳寺の什物 3 彫刻 (1) 仏像・神像」中に「愛染明王・稲荷 各 一躯」とあり。
「満徳寺代々上人御法号」(浅井銕五郎記)に、天樹院殿(千姫)大阪より御持参「金ムク愛染明王」と伝えるが、「満徳寺由緒書」に「愛染明王・文殊・稲荷、右三躰お夏殿御懐胎の節、御祈祷致候様」と、満徳寺に預けられた。
お夏は三代将軍家光の妾で、綱重の生母である。「懐胎の節」とは綱重である。」
綱重は父親家光が41歳のとき生まれた子で、父親が41歳で生まれた男子は親を食うという俗説があったため「いったん捨て子の形式をとって人に拾い取らせ、その上で育てる風習があった。拾い親が千姫で、綱重は千姫に養育された。」
「また、「四十二の二つ子、女子なれば家繁昌」といわれた。「懐胎の節御祈祷」とは、千姫が女子の生まれることを「愛染明王・稲荷・文殊」に願い、満徳寺で御祈祷をしたのだろう。」とあり。
『縁切寺満徳寺史料集』(高木侃編著 成文堂 1976)
p11「満徳寺代々上人法号」(上野国新田郡徳川郷 満徳寺代々上人御法号 浅井銕五郎先祖也)に「天樹院殿大坂ヨリ御持参品、金ムクの愛染明王、満徳寺法物第一成、」とあり。
『縁切寺満徳寺の研究』(高木侃著 成文堂 1990)
p487「由緒書」p493「満徳寺代々上人法号」に『徳川満徳寺史』と同内容の記述あり。
- 回答プロセス
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1 『太田市史』の調査
『太田市史 通史編 民俗』(太田市 1984、1985)上下巻とも記述なし。
2 インターネット情報
《満徳寺資料館》に「伝千姫遺愛の愛染明王」の写真あり。
(http://www8.wind.ne.jp/mantokuji/shiryoukan/shiryou.html 満徳寺資料館)
3 満徳寺に関する資料から
高木侃(同館館長)著「縁切寺満徳寺資料館」(『日本歴史 2007年10月 713』p99-100 吉川弘文館 2007.10)
p99に「文書以外では(中略)千姫遺愛の愛染明王、(中略)などである。」とあり、作者・由来については記述なし。
『徳川満徳寺史』(前述)
『縁切寺満徳寺史料集』(前述)
4 《日本古典籍総合目録》(http://base1.nijl.ac.jp/infolib/meta_pub/G0001401KTG 国文学研究資料館)、《国会図書館サーチ》(http://iss.ndl.go.jp/ 国会図書館)、《東京大学史料編纂所データベース》(http://wwwap.hi.u-tokyo.ac.jp/ships/ 東京大学史料編纂所)を〈満徳寺由緒〉〈満徳寺〉で検索するが、「満徳寺由緒書」は見つからず。
5 自館目録を著者〈高木侃〉で検索した結果から
『縁切寺満徳寺の研究』(前述)
6 千姫に関する資料から
『千姫 物語と史蹟をたずねて』(松本幸子著 成美堂出版 1982)
p198あたりに綱重の母代わりになる記述あるが、愛染明王については記述なし。
7 《Google ブックス》(https://books.google.co.jp/ Google)を〈天樹院 & 愛染明王〉で検索した結果から
『縁切寺』(五十嵐富夫著 柏書房 1972)
p105「明治二七年の再建時、次のような仏具等が満徳寺に発見できるのは、新田俊純男爵の尽力があづかって大きかったことを銘記しなければならない。」とあり。一覧の中に「愛染明王木造厨子入一寸三分丈一体」とあり。
8 《群馬県立図書館WebOPAC》(https://www1.library.pref.gunma.jp/winj/opac/top.do 群馬県立図書館)を〈愛染明王〉で検索したところ、次の雑誌記事がヒットした。
「上州風 地域の物語を発掘する 10号」(上毛新聞社出版局 2002)
「尾島町縁切寺満徳寺の愛染明王香盆仏」が掲載されている。
9 群馬県立図書館へ上記「上州風 10号」の内容確認を依頼するが、読者からのお便りの紹介で、詳しい作者、由来等はなかったとのことだった。
群馬県立図書館のその他の調査資料
写真が載っている資料はあったが、作者・由来はなしとのこと。
「縁切寺満徳寺の研究」(高木侃著)p139- 千姫入寺と中興開山俊澄尼
「徳川満徳寺」(みやま文庫)(高木侃著)p11-「千姫入寺と中興開山」、p82-「千姫入寺と縁切寺法の確立」
「縁切寺の研究」(五十嵐富夫著)p48- 千姫に関する記載あり。
「東毛地域の文化財展」(東毛歴史資料館発行)
「群馬文化 第218号」(群馬県地域文化研究協議会)
「群馬歴史散歩 第160号 特集:尾島町」縁切寺満徳寺遺跡公園の記載あり。
「縁切寺」(五十嵐富夫著)p51-「第四節 中興開山俊澄尼」千姫に関する記載あり。
「上州路 30-39号」(あさを出版)「世良田史話 千姫-その虚像と実像」の連載あり。
「上州路 40号-」(あさを出版)「縁切り寺 満徳寺」の連載あり。
「群馬風土記 109号」(群馬出版センター)文芸連載「淀殿・千姫、そして満徳寺」あり。
ウェブサイトの最終アクセス日は2015年6月10日。
- 事前調査事項
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満徳寺、太田市文化財センター、国学院大学等に問合せたがわからなかった。
- NDC
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- 芸術政策.文化財 (709 9版)
- 個人伝記 (289 9版)
- 金工芸 (756 9版)
- 参考資料
- キーワード
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- 千姫(センヒメ)
- 満徳寺(マントクジ)
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000189575