レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2013/05/02
- 登録日時
- 2014/06/10 16:44
- 更新日時
- 2014/09/28 14:38
- 管理番号
- 埼久-2014-050
- 質問
-
未解決
北斎の晩年の門人、府川一則(ふかわかずのり)が山水図巻を描いた当時の住所・住居(県名、できれば町名まで)を知りたい。
- 回答
-
府川一則が山水図巻を描いた当時の住所・住居について掲載されている資料は見つからなかった。なお、生没地については『北斎一門肉筆画傑作選』に「江戸深川六軒堀中橋に生れる。(中略)明治九年五月九日に五三歳で江戸深川に没し(以下略)」という記述があった。
- 回答プロセス
-
自館目録を〈北斎 & 一門〉で検索する。
『北斎一門肉筆画傑作選』(板橋区立美術館 2008)
p112 「蛟斎北岑(こうさいほくしん)文政七(一八二四)~明治九(一八七六) 北斎門人 江戸の人。府川氏。はじめ重三郎、のち重次郎という。北岑、北嶺と号した。十返舎一九の門人・五返舎半九の三男。」のほか、正没地の記載がある。
参考文献あり。(国会図蔵)
鈴木行三著「五返舎半九父子と葛飾北斎」(『伝記』4巻6号 伝記学会 1937)
府川俊著「府川を遡る」(『北斎研究』37号 東京美術 2005)
府川恭三著「北斎と五返舎半九について」(『北斎研究』37号 東京美術 2005)
浮世絵師に関する辞典類を調査する。
『日本人物情報大系 64(書画編 4)浮世絵師伝』(皓星社 2001)
p60「浮世絵師伝」中に北岑、北嶺の記述あり。「北岑【生】(空欄)【没】(空欄)【画系】北斎門人【作画期】文政 肉筆画あり。」
「北嶺【生】(空欄)【没】(空欄)【画系】(空欄)【作画期】天保 箱館の人。名は貫。字は交長。俗称善吉。江戸深川新地に住せしと云う。或は北斎門人たりし九々蜃北嶺(神田お玉ヶ池に住む)と同一人か。」
『日本人物情報大系 第62巻(書画編 2)浮世絵師便覧』(皓星社 2001)
p6「浮世絵師便覧」中に北嶺の記述あるも、「北嶺 箱館の人」とあるので同時代の別人か。
『浮世絵人名辞典』(清水澄編 美術倶楽部 1978)
p165「北嶺(ほくれい)函館の人、入江氏、名は貫、字は交長、(中略)或は北斎の門人か、九々蜃北嶺と同一人物か。」とある。
『浮世絵人名価格事典価格事典』(北辰堂 1994)
p158「北岑(ほくしん) 生没年不詳。文政のころの肉筆画も遺されている。北斎の門人。」
『浮世絵大事典』(東京堂出版 2008)
『日本名画家伝 物故篇』(佐藤靄子著 青蛙房 1967)
『大日本書画名家大鑑 索引編』(第一書房 1991)
《Google》を〈府川北嶺〉で検索する。
個人ウェブサイト《掌のハードボイルドワンダーランド》内に「北斎外伝・北曜(ほくよう)と北嶺」というページがあり、下記の文献を紹介している。
「葛飾北斎論集」(永田生慈著 東洋書院 1994)(千葉県立西部図蔵)
その他調査済資料
『日本の美術 22 江戸の浮世絵師』(平凡社 1964)
『「大北斎展」図録 江戸が生んだ世界の絵師 解説編』(朝日新聞社 1993)
- 事前調査事項
-
調査済資料『原色浮世絵大百科事典 第2巻』(大修館書店 1982)
『浮世絵事典 下巻』(画文堂 1994)
『浮世絵類考』(岩波文庫 1941)
調査済事項『北斎美術館 4』(集英社 1990)p6に「山水図巻 この図巻は、北斎が晩年の門人府川一則(ふかわかずのり)(画名は北嶺・1824-76)に、絵手本として書き与えたもので、全9図が収められている。通常の完成画とは異なり、大胆で自由な筆づかいに目をみはらせるものがある。」と書かれている。
- NDC
-
- 日本画 (721 9版)
- 参考資料
-
- 『北斎一門肉筆画傑作選』(板橋区立美術館 2008)
- キーワード
-
- 浮世絵
- 蛟斎 北岑(コウサイ ホクシン)
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 図書館
- 登録番号
- 1000154123