レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2010年3月9日
- 登録日時
- 2012/10/17 14:54
- 更新日時
- 2016/12/18 14:51
- 管理番号
- 長野市立長野-10-018
- 質問
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未解決
①善光寺七名物について詳細な資料(特に「三国一の甘酒」「善海の田楽」について)
②七名物「鐘鋳川端のまんじゅう」の鐘鋳川は昔あったらしいが、その場所の詳細地図が見たい。
- 回答
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①七名物について質問者が特に知りたかったのは2つだったのでそれにしぼって調べた。
「三国一の甘酒」は、『江戸語大辞典』p450~451、『広辞苑』から、「三国一」という言葉は甘酒の異称であり、看板などに掲げていたという事項が載っていた。単語の意味から善光寺周辺で甘酒を売っていた店だけには限らないようだった。
「善海の田楽」については、殺人の罪を犯して寛慶寺に逃れ仏門に帰依した善海が作ったとインターネットから知る。
『日本仏教人名辞典』p435にて江戸期に善海という僧が居た事が書いてあったが、しなしながら生没年は不明であり、善海という僧が果たして同一人物であるのか、長野にいたのか、罪を犯していわれのある寛慶寺にいたのか、そこで本当に田楽を作ったのかは不明。
『日本仏家人名辞典』に江戸三河島法界寺を中興したとあり、善海の宗派もその寺と同じであった為インターネット等で探した所、現在の荒川区にお寺があるという事だったが、そこにも田楽を作ったなどの記述はなし。
田楽そのものについては『食べ物起源事典』 『江戸のあじわい図譜』 『信州味噌の歴史』p89などから江戸期庶民に広く伝わったのが豆腐に味噌や醤油を塗って串を刺して焼いたものだった、との記述から、信州でも近いものがあったのではないかと予想される。
②昔の川の地図の詳細なものをと言う事だったのが、詳細なものは探しても見つからなかった。
大まかではあるが、川が載っている地図が載った資料をご案内した。
地図ではないが、流れている場所の詳細については、「長野市の用水」の裾花水系に鐘鋳川の詳細あり。
http://www1.nagano-ngn.ed.jp/vod/html/eskyou17/ <最終確認:2016年12月18日>
- 回答プロセス
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善光寺七名物については、以前にレファレンス有。
「善光寺七名物及び善光寺四十九名所についての資料がほしい。」
https://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000067131
七名物はこの二つが詳細な事が資料やインターネットでも載っていなかったという事で二つに絞って資料を探す。
「三国一の甘酒」という単語で探しても出てこない為、「三国一」で区切って『広辞苑』『江戸語大辞典』などで発見。
「善海の田楽」もそのままでは出てこない為「善海」という僧が作ったという事から、『日本仏教人命辞典』や『日本仏家人名辞典』などで探す。
善海と言う人物がいて、法界寺を中興したとまでは載っていたが、それ以上は分からず。
「鐘鋳川端のまんじゅう」の鐘鋳川は今はないので昔の詳細地図を希望だったが、大まかな位置の地図はあれど、資料にそういった詳細図は見当たらなかった。
- 事前調査事項
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「善海の田楽」について、質問者が直接いわれのある寛慶寺に行き住職に話を聞いたそうだが、分からないという答えを頂いたとの事だった。
- NDC
- 参考資料
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『江戸語大辞典』 前田 勇/編 講談社 1974
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『広辞苑』 新村 出/編 岩波書店 2008.1
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『日本仏教人名辞典』 日本仏教人名辞典編纂委員会/編 法蔵館 1992.1
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『日本仏家人名辞書 増訂』 鷲尾 順敬/編 東京美術 1982
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『善光寺と長野の歴史』 小林 計一郎 信濃教育会出版部 1958
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『善光寺繁昌記』 長尾 無墨 光竜堂 2008.1
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『長門町百周年記念誌』 長門町百周年記念誌/編 長野 編者 1991.1
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『信州味噌の歴史』 田中 武夫/編 長野県味噌工業協同組合連合会 1966
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『こんなにもある善光寺のなぞ』 田中 博文 一草舎出版 2009.04
- 『たべもの起源事典』 岡田 哲/編 東京堂出版 2003.01 <383 タ>
- 『江戸あじわい図譜』 高橋 幹夫 青蛙房 1995.6 <383 タ>
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『江戸語大辞典』 前田 勇/編 講談社 1974
- キーワード
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- 長野県
- 善光寺
- 七名物
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000112592